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モネ(1840-1926)

睡蓮の絵で知られる画家のモネ(Oscar-Claude Monet)は1840年11月14日パリで生まれました。4歳の時に一家はルアーブルに引っ越します。若い頃から画家を志しますが、父と不和になり、経済的には苦しい状況が続きました。

21歳の時に画塾でルノワール、シスレー、バジールと出会います。24歳の時に初めてサロンに入選、しばらくはパリを拠点に活動しました。26歳の時に長男ジャンが生まれ、2年後その母親カミーユと結婚。

1873年32歳の時に「印象日の出(Impression Soleil levant)」を制作。これを翌年仲間内で主催する作品展に出展。この展を見た保守的な美術記者ルイルロワがこの作品のタイトルを使って「印象主義者の展覧会」と言って嘲笑する記事を書きます。しかしこの記事がもとでこの素晴らしいムーブメントに『印象派(ecole impressionniste)』の名前が付くことになりました。

1876年には美術収集家エルネスト・オシュデと出会い、モネは一時期彼の家に滞在して絵を描いていました。1878年には次男ミシェルが生まれますが、この年オシュデが破産。オシュデ本人は失踪して、一転してオシュデの妻のアリスと6人の子供がモネの家に転がり込んでくることになります。そして翌年妻カミーユが癌のため死去。

このころから1889年にロダンとの合同展で成功するまでの間、長い困窮生活が続きました。モネは自分の2人の子供、アリスの6人の子供の教育のことも考えて1883年にジヴェルニーに家を借り経済的な安定を得た1890年にこの家を買い取っています。そして1892年にはアリスと結婚しました。

このジヴェルニーの土地はモネの創作意欲を大いに刺激したようです。子供たちをモデルにして多くの絵を制作していますし、1890年から始めた積藁の連作は色々な光線の元で見せる積藁の様々な様子が描かれています。

1893年頃から彼は北斎に惚れ込んだりしたこともあり日本庭園に興味を持ち、わざわざ日本から取り寄せた桜・紅葉・牡丹などの花を庭に咲かせました。そして池を作り、睡蓮を育て、太鼓橋!まで架けてしまいました。彼の代表作ともなる睡蓮の連作は1897年頃に構想を固め、1899年頃から亡くなるまで続くことになります。

1906年には友人のクレマンソーが首相になり、彼とのつながりで睡蓮大装飾画の国家への寄贈もすることになります。この絵は死ぬまで手を入れていました。1908年頃から視力が衰え始めますが色覚を失う直前で1923年82歳で白内障の手術を敢行しギリギリ持ちこたえます。そしてなおも制作を続けました。

1926年12月5日死去。享年86歳。


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