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カエサル(BC100-44)

ユリウス・カエサル(英語読みジュリアス・シーザー)の誕生日については幾つかの説がありますが、ひとつの説がBC100年の7月12日というものです。

BC101年の11月16日という説もあるのですが、彼が自分の誕生日がある月だからといって、7月をユリウス(英語読みジュライ)と改名したのは有名ですので、11月生まれということはないのではないかと思います。なお7月13日説もあります。

まずカエサルに関する3つの誤解をといておきましょう。

(1)カエサルは皇帝ではない。 カエサルほど「皇帝」のイメージの強い人もないのですが、ローマの初代 皇帝はカエサルの後継者(姪の息子)であるオクタビアヌスです。カエサル は皇帝にはなっていません。

(2)カエサルは帝王切開で生まれた訳ではない

上記のと関連していますが、帝王切開(Caesarean Operation)というのは、 カエサルとは関係ない話でここでの「シーザー」とは「カエサル」ではなく 「ハサミで切る」ほうです。英語でもハサミはシザー(scissors)ですね。 つまり切開して子供を取り出す、というだけの意味だったのですが誰かか その言葉をドイツ語に訳す時にカエサルと関連づけて考えてしまって、 おかげでドイツからたくさんの医学用語を輸入した日本でも堂々と 「帝王切開」などという本来は誤訳である言葉がまかりとおっています。

(3)殺された時に「ブルータス、お前もか」とは言わなかった。

 「息子よお前もか」が正しいそうです。その「息子」が実際に誰なのかというのも、幾つか説が分かれているようです。「ブルータス、お前もか」はシェイクスピアの創作であったと思います。

さて、ユリウス・カエサル(Julius Caesar)はローマのスブッラに生まれました。彼の家はローマの古い名門貴族で、16歳の時に当時の執政官キンナの娘コルネリアと結婚。しかしそのキンナがまもなく暗殺され、彼は家族共々小アジアに逃げ延びます。

BC78年(22歳)の時にその義父の政敵が失脚して帰国。その後はいろいろな公務や軍務を歴任したのちBC60年(41歳)クラッスス、ポンペイウスと私的な密約を締結。執政官となり、第一回三頭政治(BC59-53)を行いました。

クラッススが死去し、またカエサルとポンペイウスをつなぐ存在であったユリア(カエサルの娘でポンペイウスの妻)が死去したことから三頭政治が崩れたのち、彼はその後北方でガリア戦争を指揮しますが(その時の記録が『ガリア戦記』)、その最中にローマではポンペイウスや実権を回復した元老員派がカエサルを追放処分にします。しかし彼はガリア戦争に勝利した勢いで、元老員の通告を無視。

BC49年『賽は投げられた』と言って<ルビコン川>を渡りローマに帰国。元老員派やポンペイウスは逃亡します。

カエサルはそのポンペイウスをBC48年ファルサウスの戦いで破り独裁官に就任してローマの執政権を握りました。更に彼はエジプトに出兵してクレオパトラと盟約を結び、アフリカ北部や小アジアも転戦してBC46年にローマに戻ります。この戦役の際にゼラの戦いで『見た来た勝った』の言葉が出ました。

帰国したカエサルは終生執政官に就任して、エジプトの進んだ文化を取り入れ、暦の改訂や貧困者政策などにも力を入れます。しかし彼の独裁に反対する勢力によりBC44年3月15日、暗殺されました。


(2002-07-10)

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