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アラン・ドロン(1935-)

1960年代から1970年代にかけて日本の女性にカリスマ的美男俳優として人気があったアラン・ドロン(Alain Delon)は1935年11月8日にフランスのパリ近郊ソー(Sceaux)で生まれました。後世の映画でのイメージに反して彼は荒れた少年時代を送り暴力事件などを起こしてなんども学校を退学にさせられています。

彼が立ち直るきっかけになったのは海軍に入り落下傘部隊に配属されてインドシナ方面で戦役に従事してからのようですが、除隊後はウェイター、ドアボーイ、ポーター、セールスマン、肉屋さん、八百屋さんなど多くの職業を転々とした後、知人の紹介により1957年イブ・アレグレット監督の「Quand la femme s'en mele(御婦人が混ざる時)」で映画デビューしました。これは端役でしたが何通かファンレターが届き、彼は自信を高めます。

次いで1958年「Christine(恋ひとすじに)」でRomy Schneiderと共演。これを機会に二人は実生活でも交際を始めますが、結婚をロミーの親に反対されます。しかし彼はこの大スターと困難な恋をしつつ、更にジュリエット・グレコ、ジャンヌ・モローなどとも浮き名を流しました(1964年婚約解消)。

華やかな女性たちとの交際により実力より先に名前が広まってしまった彼ですが、俳優としても一流であることを証明したのが1960年の「Plein Soleil(太陽がいっぱい)」でした。この映画の前半で彼が演じている内気な青年をアラン・ドロンの実像に重ね合わせた人は多いと思います。映画の後半では一転して大胆な完全犯罪者になりますが、どちらかというとこちらの方が本人の性格に近いのかも知れません。

これ以降は彼の出る作品・出る作品がヒットする感じでした。

1962 L'Eclisse 太陽はひとりぼっち 1963 Il Gattopardo 山猫 (英題=Leopard) 1963 Melodie en sous-sol 地下室のメロディー 1964 La Tulipe noire 黒いチューリップ 1965 Once a Thief 泥棒を消せ 1967 Les Aventuriers 冒険者たち 1967 Le Samurai サムライ 1967 Diaboliquement votre 悪魔のようなあなた 1968 Adieu l'ami さらば友よ 1968 La Motocyclette あの胸にもういちど (英題=Girl on a Motorcycle) 1969 La Piscine 太陽は知っている (英題=The Swimming Pool) 1969 Jeff ジェフ 1969 Le Clan des Siciliens シシリアン 1970 Borsalino ボルサリーノ 1970 Madly 栗色のマッドレー 1970 Le Cercle rouge 仁義 1971 Doucement les basses もう一度愛して 1971 Soleil rouge レッド・サン 1971 Le Veuve Couderc 帰らざる夜明け 1972 The Assassination of Trotsky 暗殺者のメロディー 1972 Un flic リスボン特急 1972 Prima notte di quiete 高校教師 1973 Scorpio スコルピオ 1973 Deux hommes dans la ville 暗黒街のふたり 1973 Traitement de choc ショック療法 1973 Race des seigneurs 個人生活 1973 Les Granges brulees 燃えつきた納屋 1974 Zorro ゾロ 1974 Les Seins de glace 愛人関係 1974 Le Gitan ル・ジタン 1974 Borsalino & Co. ボルサリーノ2 1975 Flic Story フリック・ストーリー 1976 Comme un boomerang ブーメランのように 1977 Le Gang 友よ静かに死ね 1976 Monsieur Klein パリの灯は遠く 1976 Armaguedon アルマゲドン 1977 Mort d'un pourri チェイサー 1979 The Concorde (Airport '79) エアポート80 1981 Pour la peau d'un flic 危険なささやき 1984 Un amour de Swann スワンの恋 1990 Nouvelle vague ヌーヴェルヴァーグ 1992 Le Retour de Casanova カサノヴァ最後の恋 1995 Les Cent et une nuits 百一夜 1998 Une chance sur deux ハーフ・ア・チャンス

恋多きドロンですが最初の結婚は1964年8月13日のFrancine Canovas (通称Nathalie)でした。彼女は容貌がアランそっくりで、彼の妹兼秘書として1963年頃から彼のそばによく付き従っており、映画で共演したこともあります。二人の間には結婚した年に子供が一人生まれています。しかし彼が一人の女性で満足できる訳がなく1967年には離婚訴訟を起こし、1969年正式に離婚しました(1968説も)。

離婚が完成すると彼は早々にMireille Darcと同棲。翌1970年に結婚します。彼女との結婚生活は10年以上続いたようです。実は現時点で彼女との離婚の時期がよく分かりません。1980年にミレイユが大病をした時に健気に看病をしていたという情報がありますのでその時点では少なくとも夫婦であったようです(ちなみにミレイユはまだ生きています)。

彼には多分多数の子供がいると思うのですが、正式に認められているのは三人だけで、それがナタリーの子供のアンソニーと、あと二人Rosalie Van Bremenとの間に生まれたアヌーシュカとアラン・フェビアンです。そのロザリーはオランダの歌手ですが、彼女とは1987年に結婚しており、子供が生まれたのは1990年と1994年。現在もこの結婚生活は継続中と思われます。

数年前に引退宣言をしてファンにとっては寂しい限りなのですが、彼の出演作のほとんどは基本的に恋愛映画とギャング映画に大別できますが、彼には昔から黒い噂もささやかれ、口の悪い人に言わせると「俳優がギャングを演じているのではなくギャングが俳優になっただけだ」とのこと。

同じように美男俳優としてファンの多いジャン・ポール・ベルモンドとはデビュー前からの親友ですが、共演した映画で名前をどちらが先に出すかで大人げない喧嘩をした(これは実は裁判までやった)りしたこともあります。

彼は初期の段階で役者としての訓練を受けたわけではありませんでしたが、カメラを前にすると自然とその前で自分をアピールしつつ演技をすることができました。そういう意味では天性の俳優であったのかも知れません。

彼は一時はアメリカのビバリー・ヒルズの豪邸に住んでいましたが、1985年からスイスのジュネーブに移住しており、現在スイスの市民権も取得しています。彼はこのまま死ぬまでスイスで暮らすつもりとは思いますが、「映画から引退」しても、静かな暮らしをするつもりではないように思います。


(2001-11-07)

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