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ヨハネ・パウロ1世(1912-1978)

1978年8月26日、バチカンでの全世界の(80歳未満の)枢機卿によるコンクラーベ(conclave,法王選挙)により、ヴェネツィア総大司教アルビノ・ルツィアーニ(Albino Luciani)が新しいローマ法王に選出され、ヨハネ・パウロ1世となりました。

これは15年間の在職の後同年8月6日に80歳で亡くなったパウロ6世の後を引き継ぐもので、ヨハネ・パウロ1世はまだ当時66歳。当面は安泰と思われたのですが、全世界への就任の声明や人事異動の案を出したりしたものの、わずか33日後の9月28日突然亡くなってしまいました。ホントにさてこれから仕事を始めようとしていた矢先のあまりにも早すぎる死でした。

彼の後任を決めるコンクラーベは10月14日に行われますが1回目の投票では決まらず決選投票の結果10月16日17:15、ポーランドのクラークフ大司教カロル・ヨセフ・ウォジュティーラ(Karol Josef Wojtyla 1920.5.18クラークフ生まれ)が選ばれヨハネ・パウロ2世となります。(現法王)

ローマ法王は全世界10億人という世界最大の宗教であるローマン・カトリックの頂点に立つ精神的指導者であり、その初代の法王はキリストの弟子であった聖ペテロであるとされます。そのため法王の職は「ペテロの椅子」とも呼ばれこのローマ法王がいるバチカンの教会はサン・ピエトロ(聖ペテロ)大聖堂です。

枢機卿はその法王を補佐する存在であり、バチカンの行政を担当するとともに全世界のカトリック教会を統括しています。その定員は以前は70名でしたが、近年は大幅に人数が増え現在150名程にも及んでいます。法王は終身制ですが法王が亡くなった場合は80歳未満の枢機卿により次の法王が選出されることになっています。枢機卿の間には上下関係は一切なく全ての枢機卿は対等の立場であるとされます。そこで「Cardinals are not counted first,second,third;but counted one,two,three.」と言われています。非常に素晴らしい風習であると思います。

さて、ヨハネ・パウロ1世ことアルビノ・ルツィアーニは1912年10月17日イタリアのベルーノ(Belluno)生まれ。生まれた時点で今にも死にそうな感じであった為すぐにその場で助産婦が洗礼を行うという非常措置が取られましたが、幸いにも生き延びることができました。そのこともあったのか7歳の時点で神に仕える道に進むことを決め、小学校卒業後神学校に進学します。1934年副助祭、1935年助祭となってベルーノの聖ペテル教会に入ります。

1937年から1947年までベルーノのグレゴリアン神学校の副校長。その後もベルーノ教区の各種の教会役員を歴任して1958年ビットリオ・ベネート司教。1969年ヴェネツィア総大司教。1972年イタリア司教会副会長。そして1973年枢機卿に任命されました。


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