↑

振袖火事(1657)

「ほんとにあった怖い話」といった感じの話です。

麻布の質屋の娘・梅乃は寺小姓に一目惚れし、その小姓が着ていた服と同じ模様の振袖を作らせて愛用していましたが、ふとしたことで死んでしまいました。両親は憐れんで娘の棺にその振袖を着せてやりました。

当時こういう棺に掛けられた服とか仏が身につけているカンザシなどは、たいていの場合、棺が持ち込まれた寺の湯灌場で働く者たちがもらっていいことになっていました。この振袖もそういう男たちの手に渡り、いいものに思えたので売り飛ばされ、回り回って別の娘の物になりました。

ところがこの娘もこの振袖を愛用していて、しばらくの後に亡くなったため、また棺にかけられて寺に持ち込まれることになりました。寺の湯灌場の男たちもびっくりしましたが、またそれを売り飛ばし、また別の娘の手に渡りました。

ところが、その娘もほどなく死んでしまい、またまた棺に掛けられて寺に運び込まれてきたのです。

今度はさすがに湯灌場の男たちも気味悪がり、寺の住職に相談。死んだ娘たちの親も呼び出されてみんなで相談の結果、この振袖にはなにかあるかも知れないということで、寺で供養することになりました。

それは明暦3年(1657)1月18日午前十時頃のことでした。この寺は本郷丸山本妙寺という寺です。

住職が読経しながら火中に振袖を投じます。

ところが、折しも強い風が吹き、その振袖は火がついたまま空に舞い上がりました。

そしてその振袖は本堂の屋根に落ち、屋根に火が燃え移りました。

おりしも江戸の町はその前80日も雨が降っていませんでした。

この屋根に燃え移った火は消し止めるまもなく次々と延焼、湯島から神田明神、駿河台の武家屋敷、八丁堀から霊岸寺、鉄砲州から石川島と燃え広がり、日本橋・伝馬町まで焼き尽くしました。火は翌日には北の丸の大名屋敷を焼いて、本丸天守閣まで焼失することになりました。

この火事で亡くなった人は10万人以上。

世に明暦の大火と呼ばれていますが、この火事の発端から「振袖火事」の異名があります。

私はこの話に関わる度に、背筋がゾッとします。

合掌。


↑ Dropped down from 今日は何の日.

(C)copyright ffortune.net 1995-2013 produced by ffortune and Lumi.
お問い合わせはこちらから