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巌流島の決闘(1612)

慶長17年(1612)4月13日、二刀流の使い手・宮本武蔵と燕返しの名手・佐々木小次郎の決闘が、山口県の船島で行われました。

この船島は現在、小次郎の別名・巌流を採って「巌流島」とも呼ばれています。下関の先の造船所のある彦島の東側に浮かんでいます。昔はその名の通り船の形をしていたそうですが、今は埋め立てによって全く形が変わってしまっています。

決闘は武蔵がわざと遅刻して、小次郎がそれに怒り冷静さを失っている所をつかれて、やられてしまったと言われます。小次郎が、さっさと行くぞ、と言って刀の鞘を投げ捨てると、それを指して武蔵が「小次郎敗れたり」と言い「勝負のあと刀を納めるべき鞘を捨ててしまったのは、もうそれに納められないということだ」と指摘して、更に小次郎の動揺を誘ったといいます。

腕にそう差がない場合、こういう心理戦の比重というのは大きいのかも知れません。

宮本武蔵は天正12年(1584)美作国宮本村の生まれ。幼名は弁之助といったといいます。13歳の時以来、生涯60回以上の果たし合いを行い、一度も敗れませんでした(まぁ敗れたらそれで死んでいるわけだが)。

特にこの小次郎との対決と、京都での吉岡一門との対決は有名です。

寛永17年(1640)肥後の細川忠利に召し抱えられ、寛永20年には「五輪書」を著しました。

正保2年(1645)5月死去。


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