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艶容女舞衣(1695)

元禄8年(1695)12月7日、大坂・千日前で、赤根屋半七と女舞三勝の心中事件がありました。

この事件は竹本三郎兵衛らにより「艶容女舞衣(はですがたおんなまいぎぬ)」の題で浄瑠璃にまとめられ、公演。評判となって、この劇は現在でも浄瑠璃の代表的な演目のひとつになっています。

赤根屋半七は五条新町の染め物問屋に勤めており、お園という妻がいましたが、一方では三勝と付き合っており、二人の間にはお通という娘もいました。

今日も帰ってこない半七のことを考え、お園は自分が半七と結婚したのが間違いであった。自分は身を引いた方がいいのではないかと悩みます。その悩みを独白する部分

「今頃は半七様どこにどうしてござらうぞ。今更返らぬことながら、私 といふ者ないならば、舅御様もお通に免じ、子までなしたる三勝殿を、 とくにも呼び入れさしやんしたら、半七様の身持も直り御勘当もある まいに。。。。」(三勝半七酒屋の段)

のところは、この劇の見せ所になっています。

『○○様はどこにどうしてござろうぞ』のセリフはその後多くの小説・演芸・そして今日ではマンガなどでも使用されています。

人形浄瑠璃は16世紀末に誕生し、17世紀に発展していって17世紀末に竹本義太夫・近松門左衛門によって完成されました。初期の頃の名作で、源義経の妻・浄瑠璃姫の悲しい物語を描いた劇の名前を取って「浄瑠璃」と呼ばれています。

「文楽」の名はこの人形浄瑠璃を演じる劇団の中で最後まで残ったのが文楽座であったからです。その文楽座も既に名前だけとなり、経営母体は松竹更には文楽協会へと移って、細々と公演を行っています。しかし一方では近年地方で独自の人形浄瑠璃を公演するところは増えており、今後の展開に期待したい所です。


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