↑

日本左衛門の処刑(1747)

河竹黙阿弥の「白波五人男」の頭領・日本駄右衛門のモデルとなった日本左 衛門は浜松付近で強盗を重ねていた盗賊です。延享4年(1747)2月4日捕縛され、 同年3月11日に処刑されました。

河竹黙阿弥(1816-1893)は3代目歌川豊国(1786-1864)が描いた弁天小僧の錦絵 に触発され、この女装の泥棒役に当時19歳の5代目尾上菊五郎を配して「白波 五人男」(外題は青砥稿花紅彩画)を制作しました。その時にその盗賊の頭 に当時既に伝説化していたこの大泥棒の名前をもじって使用したのです。

黙阿弥の「白波五人男」は5幕からなる長い物語ですが、多く演じられるの は弁天小僧菊之助と南郷力丸が早瀬主水の娘と伴の四十八に扮して、わざと 万引きの疑いを掛けられる浜松屋の段(3幕)と、五人男(後2人は忠信利平と 赤星十三郎)が勢揃いする稲瀬川の段(4幕)でしょう。

浜松屋の段では万引きしたかと思ったら他の店で買ったものであることが分 かり店の者が恐縮しているところに日本駄右衛門が登場して彼らが偽物であ ることを見破って店の者を信用させ(と、多くはここまでしか演じない)、 夜になるとその日本駄右衛門が強盗に変身して、更に....と次々とどんでん 返しのあるスピーディーな展開が魅力となっています。

序幕で若侍の姿であった菊之助がこの3幕冒頭では娘姿になっており、更に 正体がばれると男に戻って啖呵を切る、というこの変り身の激しさはこの役 を難役にしています。文久2年3月に江戸市村座で初演されました。

五人組の盗賊というモチーフはあるいは江戸中期の歌舞伎「難波五人男」か ら来ているのかも知れません。こちらは元禄15年(1702)8月26日大坂道頓堀で 雁金文七・庵の平兵衛・極印千右衛門・神鳴庄九郎・ほてゐの市右衛門とい う5人のならず者(盗賊ではない)が処刑された話がモチーフになっています。 処刑からわずか半月後の9月9日に岡本文弥が「雁金文七」を上演、4日遅れて 宇治加賀掾座で「難波五人男」が上演されました。江戸でも享保15年(1730) に中村座で「名月五人男」として上演されています。


↑ Dropped down from 今日は何の日.

(C)copyright ffortune.net 1995-2013 produced by ffortune and Lumi.
お問い合わせはこちらから