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ニセ虚無僧の取締り(1774)

安永3年(1774)1月19日、幕府は諸国に「浪人取締御触書」を出して、村々で「ニセ虚無僧」を見つけたら当局に通報するよう指示しました。

時代劇では怪しさ120%の虚無僧(こむそう,こもそう)ですが本来はちゃんとした禅宗の一派です。鎌倉中期の僧・覚心(*1)が南宋に渡り尺八禅の印可を受けて帰国、紀伊国の興国寺に「普化庵」を結んで尺八を吹いて無の境地を体験する禅を始めたのが最初です。要するに尺八を吹くのは座禅の代わりなのです。この「普化庵」にちなんで、この系統を「普化宗」と呼びます。

(*1)覚心という名前の僧は多数いるのでこの人の年代についてはかなり混乱が あるようですが、普化宗の開祖の覚心はおそらく13世紀中〜後期の人と 思われます。正確な生没年は確認できませんでした。なお南宋は1279年に 滅亡しています。覚心が帰国したのは1253年のようです。

時代劇などでは虚無僧が「明暗」と書かれた偈箱(げばこ)を持っていますが、これは普化宗の総本山のひとつ、京都の明暗寺の系統の僧であることを主張しているものです。明暗寺は覚心の弟子の明普が開いた寺です。

普化宗はその後、その京都の明暗寺と千葉の一月寺(同じく覚心の弟子の金先が開いた)を中心に大きく広がり最盛期には18派140寺にも及びましたが、それと同時にニセモノもかなり横行するようになりました。禅宗の僧は仏教の古い形を伝えており街頭で托鉢して喜捨を求めるのが修行のひとつとされています。普通は街頭に立って鉢を持って経を唱えているのですが、普化宗の僧の場合は尺八を吹いています。しかし商店の前などで吹かれるとかなり迷惑でもあるので商店側が「どっかよそに行ってくれ」などと言い、まじめな僧なら一礼して立ち去る所ですが、中にはそこの人とトラブルを起こす、修行のなってない者もありました。

また一般の禅僧ならせめて般若心経くらい暗唱できなければ托鉢もできませんが、虚無僧の場合尺八さえ吹ければ虚無僧の真似ができるため、本当は虚無僧ではないのに、その姿形だけまねて天蓋をかぶって尺八を吹き、しかもかなり強引に喜捨を求めるものが相次ぎました。そして中には寄付を断ると暴力事件を起こす者まで出てきます。このような事件があまりにも多くなったため、これは何とかしなければということで、とうとう取締令が発せられることになったものです。

取締令は何度かにわけて色々出ているようですが、安永3年の令では、浪人が虚無僧姿で何か無理な要求をする時は、取り押さえて役所に連れてくるようにとしています。

基本的には江戸後期ころまでには、虚無僧は各寺できちんと管理することとし寺が直接村々と契約して、定期的に布施をもらうものとなり、虚無僧個人単位で喜捨や止宿を求めることは禁止されました。虚無僧が訪れた時に泊める家も予め決めておくこととし、身分を確認するために、各村に予め届けている印鑑と同じ印鑑を押した証文を持ち歩くこととします。この証文を持っていない者はつまりニセ虚無僧ということになるわけです。

そのようにしてかなり管理された状態の中で法灯を継いできた普化宗も明治になると廃仏毀釈の波にのまれ、この宗派自体が禁止されてしまいます。やむを得ず、明暗寺は元々の覚心上人の出身寺である東福寺の塔頭・善慧院に一切を託して寺を閉じました。

そして第二次世界大戦後、宗教の自由化に伴い、善慧院が明暗寺を再興。再び普化宗は蘇りました。その所属している僧の数こそかつての勢いからすると、たいへん少数ではありますが、この明暗寺や富山の国泰寺などを中心に現代の虚無僧たちは活動しています。


(2004-01-18)

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