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曾根崎心中初演(1703)

元禄16年(1703)5月7日、大坂の竹本座で人形浄瑠璃「曽根崎心中」が初演され、大ヒット作となりました。これは同年4月に曾根崎の天神の森で心中した、北の新地の天満屋の遊女お初と醤油商平野屋の手代徳兵衛との悲恋を扱った物語で実にホットな話題でした。

この二人が心中したことで「お初天神」の通称ができてしまった曾根崎の天神様は本来は「露天神」といい、菅原道真公がこの地で

  露と散る 涙は袖に 朽ちにけり 都のことを 思ひ出づれば

とよんだことから命名されたものです。

人形浄瑠璃は16世紀に三河地方の琵琶法師たちが作り上げた物語形式の歌に人形劇が結びついて江戸時代初期に成立したもので、この曾根崎心中を上演した竹本座の竹本義太夫とそのライバルであった豊竹座の豊竹若太夫によりその形式が完成しました。

「浄瑠璃」というのはまだ人形劇と結びつく以前の時代に、源義経とその妻・浄瑠璃姫の物語をうたったものが大ヒットして、それがこのジャンルの代名詞になってしまったものです。また竹本義太夫によって完成されたことからその歌は「義太夫節」とも呼ばれます。江戸時代たいへんな人気でしたが明治以降は衰えてしまい、一番最後(1909年)まで残ったのが文楽(ぶんらく)座であったために「文楽」とも称されます。

人形浄瑠璃を完成させた二人ですが、竹本義太夫は心理描写重視、豊竹若太夫は華麗な技巧で魅せるタイプで対照的な芸風であったと伝えられます。竹本座は天和4年(1684)2月1日,豊竹座は元禄16年(1703)6月にオープンしています。二人が競い合っていたこの浄瑠璃黄金時代は「竹豊時代」とも呼ばれます。

なお、文楽座なき後は松竹がその名前だけ引き継いで公演を続行してきましたが近年は後継者難と観客減少で非常に苦しんでおり、1963年以降は松竹に代って財団法人文楽協会が管理しています。最近はロック浄瑠璃などといった珍奇な試みをしてみたりなど何とか観客を呼び戻そうと努力はしているようですが先行きは明るくないようです。

近松門左衛門は承応2年(1653)に福井藩士の次男に生まれた後、父が浪人したことに伴い京都に出てきて、公家に仕え、後大坂に移って浄瑠璃作者になります。最初の作品は寛文13年(1673)正月のものです。彼の作品は浄瑠璃と歌舞伎とに分かれていますが、特に浄瑠璃では「曾根崎心中」「冥土の飛脚」「国姓爺合戦」「女殺油地獄」など数々の名作を生みだしました。

(近松の出生地については福井説の他に萩説もあります。又そのほか10通りくらいの諸説があります)


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