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土佐日記書出し(934)

「男もすなる、日記といふものを、女もしてみむとて、するなり」

紀貫之は「土佐日記」の冒頭をこのように書き始めています。時は「しはすあまりひとひのひのいぬのとき」つまり、12月21日の夜8時頃です。承平4年(934)、紀貫之(きのつらゆき,869?-946)は4年間の土佐守としての任期を終えて京に戻るまでの約2ヶ月間の出来事を日記文学としてまとめました。

この時、貫之は漢文ではなく和文でこれを書くという新しい試みに挑戦します。しかし当時は男性は漢文で文章を書くのが普通とされ、和文で書いてよいのは女性だけでした。そこで、貫之はわざわざ冒頭の文章をこのように書いて、筆者を女性に仮託したわけです。

紀貫之は三十六歌仙の一人で、古今集の代表的編集者の一人です。古今集には漢文の真名序(まなじょ)と和文の仮名序(かなじょ)という二つの序文が付けられていますが、この仮名序が紀貫之の手によるものです。彼は和文を真に愛していたのでしょう。

なお、これは高校の古典でやってる内容ですが、「男もすなる」の「なり」は伝聞推定の助動詞で終止形につきますが、「するなり」の「なり」は断定の助動詞で連体形につきます。二種類の「なり」が出てくるサンプルとして有名な文でもあります。この文章の意味は「男の人もするという日記というものを、女の私もしてみようと思ってするのです」ということになります。

蜻蛉日記の書き始めが、これより40年ほど後。紫式部らが活躍する平安女流文学の隆盛が来るのは、土佐日記より70年ほど後のことです。


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