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平安神宮の創建(1895)

明治28年(1895)3月15日、京都で平安遷都1100年の記念事業の一環として創建されることになった平安神宮の御鎮座式がおこなわれました。これを記念して平安神宮では毎年この日を中祭・桓武天皇御鎮座記念祭としています。

平安遷都が行われたのは「鳴くよ鴬」で794年(延暦13年10月22日)ですので、1100年目は明治27年になるのですが、京都では明治25年に近衛篤麿公爵を会長とする「平安遷都記念協賛会」を設立、様々な記念事業を始めました。そして中でも中心になったのが、この平安神宮と内国勧業博覧会でした。

ここで問題なのは、平安遷都1100年といっても明治初年に首都は東京に移動してしまったのではないか?という問題なのですが、実はこれが実に曖昧なのです。明治維新の時に尊皇派の人々は今まで江戸から将軍が全国に指令を出していた状況の中で混乱を最小限に抑えて天皇中心の世にするには、天皇自身が江戸に行くのがベストであると考え、江戸を東京と改名、そちらに天皇と行政機構も置こうとするわけですが、それには京都の人々の反発がありました。そこで「東国は未開の地であるから、天皇が自らこれを指導することにする。天皇が東京を訪問している間は行政機能も東京に置く」などという、移動政府宣言を出しただけで、結局「遷都の詔」のようなものは出していません。

ですから法的には、明治維新から136年も経過した現在でも、日本の首都は正式には京都であるというのが妥当な所で、東京はあくまで臨時の天皇の滞在地であるにすぎないのです。

しかし法的にそうだといっても京都の人たちには天皇が東国に行ってしまったという喪失感がありましたし、政府にも京都市民に対する負い目がありました。そこで、この平安遷都1100年記念事業は、特に大きく支援された盛大なものとなったのです。

当初の計画では平安遷都した時に実際に内裏があった場所に朝堂院をまるごと復元しようということだったのですが、用地買収に時間がかかりそうであったこととさすがに予算が足りなかったことで、大極殿と応天門だけを岡崎の地にミニサイズで復元することになりました。そして明治26年に着工し、同28年の2月に完成。3月15日、無事御鎮座祭にこぎつけることとなりました。

そしてこの年4月1日からはこの岡崎の地で第4回内国勧業博覧会が開催され、京都に久しぶりに活気が蘇りました。また同年10月25日には桓武天皇の時代から今(当時)までの風物を一覧にする時代行列が行われ、結局これが今日の「時代祭」の発端となっています。


(2004-03-15)

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