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警視庁廃止決議(1905)

1905年(明治38)11月16日、東京市会が警視庁の廃止を決議しました。(9月22日と書いている文献もある)

これは同年9月5日の日比谷焼き打ち事件に関連するものです。9月5日に日露戦争終結の講和条約が締結されましたが、その内容に不満を持つ群衆が抗議行動を取り日比谷公園で集会を開こうとしたのに対し、警視庁は公園を封鎖してそれを阻止しようとしました。

これに対して押し寄せた参加予定者らは警官と押し合いになり、一部が暴徒化、これに対して警官がサーベルを抜いて暴れる群衆に斬りつけたりした為騒ぎは更に大きくなりました。

この事件に対して新聞各紙は一斉に警察を批判。すると政府はそれらの新聞を次々と発禁処分にします。しかし新聞各社は政治家を巻き込んで10月8日に警視庁廃止期成同盟を結成し、とうとう11月16日には東京市会が満場一致で警視庁の廃止決議をするところまで発展してしまいました。

この問題は更に国会にも上程され、翌年2月、警視庁の廃止に関する議論が衆議院で行われました。しかし衆議院は2月22日、警察側の改革案を了承する代わりに、警視庁廃止案は否決しました。この改革案により、今後警察は著しく国家に不利益となるような会合をのぞいては基本的に不介入の方針をとることにし、どうしても警備が必要な場合も、私服警官を活用して不必要な刺激を与えないことなどが定められました。


(2001-11-16)

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