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君が代初演奏(1870)

明治3年9月8日、「君が代」が初めて公開の場で演奏されました。

この日東京の越中島で薩摩・長州・土佐・肥前という初期の明治政府を支えた四藩の兵を明治天皇が閲兵しました。あいにく天候が悪く天皇のお立ち台の近くまで水浸しの状態であったため、式は途中で中止になってしまいましたが、この時天皇をお迎えするのに「君が代」が演奏されました。

君が代は元々古今集に収録されていた詠み人知らずの古歌(巻7賀歌の冒頭)ですが、おめでたい歌として、神事・仏事・宴席などで盛んに歌われて来ました。単に抑揚を付けて歌われたこともあれば、田楽や箏曲などに乗せて歌われたこともあるようです。むろん昔にパンクがあればパンクに乗せて歌った人もあったでしょう。昔の田楽(でんがく)というのは今でいえばロックのようなもの。通俗舞踊です。

(余談ですが、豆腐の田楽というのは、その形が田楽を踊っている人に似て いるということから付けられた名前です)

義経の愛妾・静御前が捕らわれて鶴岡八幡宮で舞を舞わされた時も、実はこの「君が代」を歌ったのだそうです。有名な「しずやしず。。。」というのは、そのアンコールで歌ったものとのこと。

この歌は最初の形は

わが君は千代に八千代にさざれ石のいはほとなりて苔のむすまで (角川文庫「古今和歌集」による)

だったのですが、長い間歌われ続けて来た結果いつの間にか「わが君は」が「君が代は」に変化してしまいました。ここで「君」が誰を指すのかについては意見が分かれます。「君」で天皇を指す例は確かに多いのですが、結婚式などで歌われていたことを考えますと、むしろ民衆の間ではその場にいる宴席の主人公を指すと考えられていた可能性が高いと思います。(結婚式ならその夫婦、天皇の前でなら当然天皇、静御前の場合は形式的には頼朝ですが、心情的には義経だったのでしょう)

明治になって日本でも西洋諸国にならって国歌を作るべきだという話になった時、このおめでたい伝統の歌を使うことが思いつかれました。そのまま伝統的な旋律に乗せても良かったと思うのですが、ここはやはり西洋諸国に負けないものを作りたいということから、イギリス人の軍楽隊長ジョン・ウィリアムス・フェントンに改めて作曲が依頼されました。かくして出来上がった歌が1870年のこの日、初披露されたわけです。

ところが、このフェントンの曲はすこぶる評判の悪いものでした。日本語が元々持っているリズム・抑揚に詳しくないフェントンは歌詞の単語の単位を無視して、「きみ/がよ/はち/よに。。。」などという変な旋律を付けてしまいました。

そこで、これは良くないということになり、10年後に今度は宮内庁の林広守が自ら純和風・今様風の旋律を付けたのが今日の「君が代」です。

この林版の君が代にはまた実に様々なアレンジが存在するようで、中にはメロディーの音が一部異なるものもあります。元々多くの人が好きなように歌ってきた歌ですから、ある意味それは当然のことでしょう。一般には海軍軍楽隊のドイツ人フランツ・エッケルトが編曲したものが定着しています。

この歌は事実上の国歌として扱われて来ましたが、法的な根拠は当時付けられず、明治26年に祝日大祭日唱歌(学校等の祝祭の日に歌うための歌)として定められただけです。

この歌は日本の民衆に1000年もの期間愛され続けて来た歌ですが、その精神を踏みにじったのは、昭和初期の軍国主義者たちでした。

今年やっと国歌に関する法律が定められ、「君が代」は正式に国歌として認定されましたが、いにしえから祝いの席でこの歌を歌ってきた何十億もの人々の平和を愛する心を、この機会に取り戻したいものです。


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