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派出所を交番と改称(1908)

1908年(明治41)2月1日、東京の警視庁は、巡査派出所を「交番」と改称しました。

交番の伝統というのは江戸時代の番所まで遡ってよいかと思われます。番所には辻番・自身番・木戸番などの種類がありましたが、基本的には全て江戸の町人の自警組織です。市中見廻りの同心が立ち寄ることもありますが、公的な施設ではなく地主たちが自主的に設置したもので、費用はそれらの地主たちの共同出費、スタッフも地主の家族や雇い人が詰めていました。「辻番」というのは武家の多い地域で辻斬りの警戒に当たるのが当初の目的、「自身番」は初期の頃、地主たち本人自身が詰めていたことからこの名称があります。

木戸番は江戸市中にある多数の関門の警戒用です。江戸は誰もが自由にどこを歩いても構わない町ではなく、基本的には、自分の住んでいる所と勤務先および常識的なその間の通勤路以外への進入は禁止されていました。その為に多数のゲートがあって目的不明確な人がそこを通ることは許可されませんでしたので、長屋のみんなで花見に行くぞなどということになれば、事前にお上に許可を取る必要があったわけです。

江戸の人口は100万人を越えていましたがその治安をあずかっている奉行所の同心は定廻り(現役スタッフ)・臨時廻り(指導役の先輩同心)を合わせても南北両奉行所でわずか24名。彼等が個人的に雇った岡っ引きもいるにしても、番所という存在がなければとてもこの巨大都市は平和に保たれなかったでしょう。江戸末期の番所の数は1000ヶ所程度にも達していたそうです。

のちに自身番は犯罪警戒だけでなく消防の拠点にもなり防災用具が常備されていました。木戸番は番太郎と呼ばれるそこの管理人が駄菓子などを売っていて、売店のような様相もしていました。

さて明治維新が起きて、新政府により警察が設置されますと、その職員である巡査たちの詰め所が町々に設置されます。東京府では明治7年(1874)6月17日に警視庁を設置、それまでの奉行所にあたる巡査たちの活動の本部が屯所と呼ばれ、町々の警戒スポットが番所と呼ばれました。当時は巡査たちは街頭で立って警戒に当たっており、今でいうとガードマンのような感じの雰囲気だったかも知れません。実際雨風の日は大変だったらしいです。

この巡査が立っている場所は函番所と呼ばれ、また彼らが休憩できるようにあちこちに設けられた、いわば警察の出張所のことを交番舎と呼びました。「交番」の名前は、巡査達が交替で番を務めるというところから出たようです。

東京に先立って巡査(但し邏卒と呼んだ)制度が発足した神奈川県では明治4年の11月27日にやはり警官の出張所の制も作り、これを既に「交番」と呼んでいます。そのため、現在これにちなんで毎月27日が『交番の日』になっています。

東京の警視庁では明治14年(1881)にこの交番の制度をもっと整備し、警官6人を1チームとして地域の治安を担当させる「巡査派出所」の制度を発足させますが、派出所という正式名になっても、交番という通称は残ったようです。明治21年(1888)には内務省令で全国にこの制度が広げられ、派出所と駐在所が全国に設置されました。ここで派出所は主として都市に設けられ、数人の警官が交替で詰めます。これに対して駐在所は主として村に設けられ、1人の警官が家族と共に住み込んで地域社会の一員として活動するものとされました。この制度が基本的には現在まで継続しています。

近年、この交番の制度が日本の高い治安レベルとともに注目され、諸外国でもこれをまねるところが出てきています。そのため koban という単語が英語でも通用するようになってきており、それに合わせて警察庁は1994年から「交番」の名前を規則上でも正式に復活させました。

また一時期、交番はあってもそこの担当警官が警邏に出ている時は誰もいないという状況が多発していて、痴漢から逃げている女性が交番があったと思って飛び込んだら誰もおらず、決局被害を免れることができなかったなどという事件も起きたことから、警察庁では現在、無人の交番をなくすべく努力を重ねています。人員配置の問題がありすぐには難しいでしょうが、数年後には交番には必ず誰かが詰めているという状態に復帰するでしょう。また、それと合わせて一部の新しい交番では、上記のようなケースで逃げ込んだ人が犯罪者から身を守るために入口の扉をロックできるようになっているものもあります。(目立つ所にボタンがあるはずです。繁華街優先で設置しているもよう)

数年前に駐在所の妻たちの日常を綴った本が出たことがあります。駐在の妻という存在は、夫が巡回に出ている間は、その交番の留守番になってしまう訳でそこに大変な問題が持ち込まれてくる場合もあります。

ある奥さんは、夫が出ている最中に一人の男が入ってきて「実は自分は先日隣町で人を殺してしまいました。新聞でも大騒ぎになっていて、逃げ切れないと思い、自首してきました」と言われたそうです。自分一人でいる時に目の前に殺人犯!! 怖い! しかし慌ててはいけない。その奥さんはほとんど無意識に「とにかく、お座りになってお待ち下さい」と言ってお茶を出したそうです。

あとで、その自首した人の方も、緊張して駐在所に行ったものの、そこでお茶を出してもらって本当に落ち着いたと、感謝の念をのべていたそうです。


(2002-02-01)

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