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相撲協会発足(1925)

大正14年12月28日、文部大臣の認可により財団法人大日本相撲協会が発足しました。

相撲は「日本の国技」といわれるほど、古くから行われていました。8世紀には聖武天皇が相撲節会を開催。その後、桓武天皇の時代から毎年天覧相撲が行われるようになりました。

しかし宮廷文化が衰えて鎌倉時代に入ると、こういったものは途絶。相撲は庶民の文化として生き延びていきます。そして江戸時代に入って、江戸と上方とで、相撲の商業的興行が行われるようになり、相撲は歴史の表舞台に復帰しました。有名な第四代横綱・谷風梶之助は仙台藩お抱え力士で江戸で活躍しました。通算成績は258勝14敗37分という、今ではとても考えられないような成績です。また松江藩お抱えの雷電為右衛門は横綱にこそなれなかったものの、254勝10敗という、これまたとんでもない成績を残しています。

(雷電がなぜ横綱になれなかったのは、相撲史上の謎とされています)

明治以降も江戸−東京と大坂−大阪の相撲興行はそれぞれ協会を設立し活動を続けます。力士によっては大阪・東京間で移籍する者もあったようです。

その両者が合同に向けて動き出した背景には大木戸の横綱問題がありました。大木戸は大阪大角力協会の力士ですが、充分な力があるということで横綱に推挙され、大阪協会は吉田司家に横綱免許を申請します。ところが司家側がこれを認めず話し合いも不調。そこで大阪協会は強引に横綱を作り住吉大社で土俵入りを強行しました。これがもとで大阪協会と東京協会の仲は険悪になりついに明治43年1月両者は絶縁状態になります。

しかしこの状態はよくないということでやがて和解の動きが出ます。大正元年12月にようやく両者の話はまとまり、大木戸も正式の横綱として認められました。そしてこれを機に両者の共同興行が行われたりもするようになり、やがて両組織を統一しようという所までいきます。

そのため大正14年9月30日財団法人設立の申請がなされ、12月28日認可がおりたものです。翌年7月両協会の合併の調印がなされ、昭和2年1月両者は正式に統合されました。本場所は年に4回、東京で2回と大阪で2回開かれることになりました。

(1999-12-27)(2002-01-05)加筆訂正


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