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トーキー初公開(1929)

昭和4年(1929)5月9日アメリカで作られたトーキー映画「進軍」「南海の唄」が日本で初めて、東京新宿の武蔵野館で公開されました。国内でも翌月にはマキノプロが国産初のトーキー「戻り橋」を公開。これから無声映画の時代は終わり始めます。

映画は初め1891年にエジソンがコダックのロールフィルムを使って静止画を点滅光源より連続表示させる方法(キネトスコープ)を考案、1895年にこれをリュミエール兄弟がスクリーンに投影する方法を発明(シネマトグラフ)。そこから歴史が始まりましたが、当然最初は無声映画でした。

映画館ではこの無声映画を迫力のある雰囲気で味わってもらうため、専属の楽団により音楽を演奏し「弁士」が劇中人物のセリフを感情のこもった表現で語っていました。しかしトーキーの登場はこの映画館の雰囲気を完全に変えてしまい、また映画製作の場面にも大きな影響を及ぼします。

トーキーは1927年に発明されたもので、要するにフィルムの送り穴用に確保している両脇の画像のプリントされていない余白部分に音声を記録したものです。この部分をサウンドトラックといいます。なおこの余白部分は左右の大きさが異なっていて当時はその広い方のみを使用していましたが、現在は左右両方を使用してステレオ・サウンドを実現しています。

(最近ではフィルムを使用しないディジタル映写機が普及し始めているので上記の「現在は」という言葉はあと数年しかもたないかも知れません)

実際の映画製作の場面では、それまではどうせ声なんて入らないということで役者はセリフをきちんと憶えず、分からなくなったら、そこが美男美女が見つめ合う濡れ場であろうと、戦闘シーンのクライマックスであろうと、「イロハニホヘトのコンペイトウ」「さてはハヒフヘ、マミムメモ」などと、とんでもないセリフを発していました。

ところがそれをやられると、あとでいざ音声をアテレコしようとしたときに口とセリフがうまく合ってくれません。そこで役者は正確に台本通りのセリフを発することを求められるようになりました。

さてこのトーキーは物凄い速度で普及しました。この普及の速度は近年CDが登場してからあっという間にLPレコードを駆逐した状況に似ています。

そしてそれは色々な社会的な構造変化をもたらしました。

とにかく今までは映画館を運営するには弁士・楽士を雇わなければならず、たいへんな投資が必要だったわけですが、それが不要になったため映画館が急増しはじめます。それに伴いトーキー映画もどんどん制作されて、結果的に弁士・楽士はどんどん失業しました。その年の秋ごろにはこの失業が社会問題化しています。

チャップリンの「モダンタイムズ」(1936)は世の中がほとんどトーキーになった時代に敢えてサイレント映画で制作された名作です。この映画で彼が批判した急激な技術の発展の中にその当のトーキー技術も入っていたのかも知れません。


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