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金閣寺棟上げ(1397)

金閣寺は「日本国王」を自認した室町幕府三代将軍・足利義満が造営したものです。

足利尊氏が設立した室町幕府は天皇が京都と吉野に2人立つという前代未聞の異常事態の中でスタートしました。しかし吉野の南朝は吉野一帯付近以外には実質的支配地域を広げることができず、幕府の仲介によって合一することになります。かくして1392年(元中9年=明徳3年)閏10月5日、南朝の後亀山天皇が北朝の後小松天皇に三種の神器を譲り、ここに南朝が正統な朝廷であったことになり北朝の後小松天皇が後亀山天皇に続く第100代の天皇に就任することになって南北朝時代が終了します。

やっと統一がなされたといっても朝廷の権威の零落は甚だしく、足利義満は何かにつけて朝廷よりも幕府の方が上であると印象づけるような行動を朝廷に対して強要し、外交文書には自らを日本国王と記していました。義満がもう少し長生きしていたらやがて朝廷を廃止して自らがそれにとって代わっていたかも知れません。

その義満がいわば絶頂期の象徴として自分の邸宅北山第を、贅を尽くして改築したものがこの金閣寺です。応永4年(1397)4月16日に立柱上棟式が行われました。むろん当時は邸宅として使ったもので、義満は一応応永元年に将軍を退いていましたので、名目上は隠居所でしたが政治の実権はしっかり握ったままでしたので、実質的にはここが政務を取る場所を兼ねていました。

しかし義満は応永15年(1408)わずか51歳で亡くなってしまいます。鹿苑院天山道義の法号が贈られ、それにちなんで北山第は鹿苑寺と名付けられ禅寺になります。ここで将軍になってから14年もたってやっと政治の実権を得た四代将軍義持は軟弱に自らを天皇の忠実な臣下たらんとし、結果的に幕府の権威を失墜させ、応仁の乱の種を撒くことになります。

なお、金閣と並び称される銀閣は延徳元年(1489)足利義政が建立したものです。取り敢えず応仁の乱は一段落したもののあちこちで戦乱が起き世の中は乱れに乱れていました。金閣は権威の象徴として造られたものですが銀閣は本来なら先頭に立って世の中の安定を図るべき将軍が現実逃避のために造ったもののように見えます。


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