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我に艱難辛苦を与え賜え(1578)

山中鹿之介は今日では、三日月に向って「我に艱難辛苦(かんなんしんく)を与え賜え」と祈った武将として知られています。それをも克服して強い武士になるのだというものすごい意気込みがそこにあります。

(ドラえもんの愛読者の方でしたら、これがどこで出てきたかご存じですね? ^^;)

彼が仕えたのは山陰地方に勢力を持った尼子氏ですが、尼子は義久が毛利に敗れて、国がなくなってしまいます。鹿之介は京都に逃れ、僧になっていた尼子一族の分家の誠久を擁立、勝久と改名させて出雲新山城に陣を敷きます。

しかしこの城は毛利の軍勢につぶされ、伯耆に入りますが、やはり毛利三兄弟に敗れて、またまた京都へ敗走。織田信長を頼って再起を図ります。そして、因幡で再々度尼子再興の軍を起こしますが、やはり毛利三兄弟の吉川元春に負けました。

しかしそれにもめげない鹿之介は今度は羽柴秀吉に従って戦績をあげ、褒美に上月城をもらいます。勝久をこの城に迎えてやっとこれでお家再興もなった、と思ったのもつかのま、またまたこの城が毛利勢に囲まれて落城。勝久は自害し、鹿之介も今度はとうとう捕らえられて処刑されてしまいました。時に天正6年(1578)7月17日。激動の人生でした。


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