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ファミコン発売(1983)

1983年7月15日、任天堂から「ファミリー・コンピュータ」が14,800円の価格で発売されました。同時発売になったゲームソフトは「ドンキーコング」で名作ソフト「マリオ・ブラザース」は同年9月9日になります。

「予感」はあったかも知れません。

1975年にエポックが「テレビテニス」を発売したのに刺激されて1977年には20社以上から色々な「テレビゲーム」が発売されています。そして1980年に任天堂は「ゲームウォッチ」を発売。各地の学校が禁止令を出すほどの大騒ぎになりました。そしてちょうどその頃、1978年から1980年にかけて、各地に「ゲーム喫茶」が誕生し、「インベーダーゲーム」の大流行を起こします。

これもまた小中学生の立入禁止令が出る騒ぎ。しかし当時その禁止令をくぐってこっそりインベーターを撃ちに行っていた人たちが恐らく現在の第一線のゲーム開発者になっています。

1983年に発売されたファミコンは年内に約40万台、翌年には10倍の400万台のセールスを記録。はっきり言ってこれでアスキーの「MSX規格」は吹っ飛んだと言って過言でないでしょう。MSXは1980年にアメリカのMicrosoftの副社長になっていた西和彦氏がその立場をフル活用して、世界共通の家庭用パソコンを作ろうと走り回ってまとめた規格ですが、寄合所帯故のもろさが出て、下からファミコン、上から日本電気PC88にはさまれて苦戦することになります。

一方のファミコンはいいゲームソフトに恵まれたこともあり、最終的に世界全体で約6000万台売れたようです。任天堂はこのシステムによりその企業イメージを一新することになります。

ファミコンのハードはCPUに、アップルのCPUとして名高い名機6502(元々はモステクノロジー社の製品だがこの頃はもう同社は倒産している。実際には某R社が韓国で生産して供給した)を採用し画像専用のLSIとの一種のツインCPUマシン。そしてカートリッジはこの2つのLSIに直接ジャックインする構造になっています。これがこの時代の貧弱なハード技術であれだけの画像コントロールができた所以です。

サウンドは3音ですが1音は事実上リズム用。あとの2つでメロディーと伴奏をするのがせいいっぱいで今のような豊かなサウンドは無理。これも当時のCPUパワーでは限界だったでしょう。画面は256ドット×240行でちょうど家庭用テレビの解像度の半分。当時はテレビ自体の画質がよくなかったので、これもちょうどいい程度の仕様でした。VRAMは下の方がパレットになっており、またBG画面と独立したスプライトを自由に動かすことができるため、ゲーム制作者にはたいへん作りやすい環境でした。


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