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ジェスチャー(1953)

1953年2月20日20時からNHK総合で「ジェスチャー」の放送が始まりました。日本のテレビ放送はこの年の2月1日に本放送が開始されており、まさにテレビ創生期の人気番組でした。なおタイトルは、当初「ゼスチュアー」でしたが、すぐに「ジェスチャー」と表記が改められました。

なお、この番組をテレビでの初のクイズ番組と認識しておられる方もあるようですが、実際には2月5日に「私の仕事はなんでしょう」というクイズ番組が放送されており、テレビクイズ番組の第1号はそちらになります。

「ジェスチャー」の番組内容としては、紅組と白組に別れ、ひとりのメンバーが見せられた「お題」を、言葉は使わずに身振り手振りだけで表現し、それを味方の他のメンバーが当てるというものです。お題は例えば「泥棒を追いかける警官」なら、演技者はまず「泥棒」を表現し、それが当たったら「追いかける」を表現し、最後に「警官」を表現するといった感じのパフォーマンスをしていました。文脈からまだ表現していないフレーズまで分かって早めに回答が出てくる場合もありました。

なお実際の問題にはかなり長いフレーズが使用されており、例えば「ビールを飲んでいる最中にハエが飛んできたので、ハエ取りをつかもうとしてうっかり子猫をつかんでしまい、びっくりしているおじいさん」みたいなユーモア的なシチュエーションのものが、多く視聴者から寄せられお題として採用されていました。

出演者はキャプテンが白組・柳家金語楼、紅組・水の江滝子で、毎回各界の様々な有名人をゲストに招いていました。

柳家金語楼はこの番組以前は落語家兼喜劇俳優として活躍していましたが、この番組でコント的な才能を強烈に見せつけました。この番組の隆盛には、金語楼の個性的で表情だけでもお茶の間の笑いを取る絶妙な演技が大きな要素となっていました。彼は発明愛好家としても知られており、前後の歯の長さが異なる「坂を登るための下駄」など不思議な発明もしています。

水の江滝子は戦前に松竹少女歌劇団の男役として人気が高かった人で、戦後も女優として活動していましたが、この番組のインパクトは大きく、私などの世代には「ターキー」といえば、ジェスチャーの紅組キャプテンというイメージが強烈です。なお、水の江はこのジェスチャーへの出演と並行して映画制作者としても活動しており、初期の石原裕次郎などを支援していて、その縁もあり、石原の個人事務所の共同経営者だった時期もあります。

司会者は代替わりして6人のNHKアナウンサーが担当しましたが、最も長い期間担当したのが、後に民放で活躍する小川宏でした。もっとも私がこの番組をリアルで見ていたのは、最後期の頃なので、私は小川の司会を見ておりません。

番組は放送時間帯や曜日を変えながら1968年3月まで放送されました。その実質的な後番組となるのは、同年4月からスタートした「連想ゲーム」です。

(2011-02-20)


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