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羽田空港の鳥居移設(1999)

1999年の2月3〜4日、全国民が「何か起きるのでは」と半ば恐れ、半ば期待する中、羽田空港内に取り残されていた穴守稲荷の鳥居が弁天橋のそばへ移転されました。

この鳥居は昭和4年に建てられたもので、当時周辺には1200世帯・3000人の住人がいました。終戦直後の昭和20年9月21日、進駐軍はこの付近に軍用飛行場を建設するとして、住民に48時間以内に退去するよう命じました。この時、穴守神社本体は現在地に引っ越し、鳥居も多数米軍の手により破壊されたのですが、なぜかこの鳥居1個だけが旧地に取り残されてしまいました。

ここでなぜこの鳥居だけが残されたのかについては諸説あってよく分かりません。米軍が「日本人の精神的なシンボルである鳥居も支配下に置いてるんだぞ」と示威するためという説もありますが、神社本体は移転しているのですからちょっと根拠が弱い。私があるいはと思う説は「米軍がこの飛行場のシンボルとしてひとつだけ祈念碑的に残した」というもの。つまりニューヨークに自由の女神があり、ラパヌイ島にモアイ像があり、ロンドンにビッグベンがあり、イスラム圏にモスクがあるように、この飛行場で日本の風情を感じるために如何にも日本的な鳥居を1つ残しておいたというものです。

しかし一般に巷でまことしやかにささやかれているのは、壊そうとしたら不思議な事故が起きて、米軍の工事の担当者が次々と変死したためであるという噂。(同様の話は例えば福岡市の背振山レーダー基地内に取り残されている神社にもあります)どちらかというと、この手の噂が相当強烈に一人歩きしている感じがあります。

米軍が羽田から撤退した後も、ポツンと取り残されたこの鳥居に関して、撤去あるいは移転の話も何度も出たようなのですが、噂を気にする関係者たちがみな及び腰になり、話は全然進まず、戦後50年以上そのまま放置されることになります。そしてついに、1998年12月、新B滑走路建設のため、撤去せざるを得ないという決断が下りました。

ここで長くこの取り残された鳥居を見てきた付近の住民の有志は、集まって関係者に陳情。移転の分の費用(2000万円とも)を負担するので、壊さずに引越させて欲しいと求め、これが認められました。かくして1999年2月3日鳥居を鋼材で補強した上でクレーンで吊り下げ、翌4日ゆっくりと800m移動させて、無事新しい場所に引越が完了しました。工事を担当した関係者も結構怖かったと思うのですが、幸い事故などは起きずに済みました。

穴守稲荷は1818年にこの付近に新田を開発していた折り、沿岸の堤防がしばしば決壊して穴があき困っていた時に、この地に稲荷の神を祭った所、ピタリと波の被害がおさまったということから篤く信仰されるようになったといわれています。

現在では羽田空港から京急に乗って穴守稲荷駅で降りると、いきなりお狐さんがお出迎えしてくれます。改札を出て少し歩いていけばすぐに入口。拝殿の右手奥には「お穴様」と呼ばれる奥の宮があり、その前に多数の摂社が並んでいます。

 築山稲荷・稲荷大明神・出世稲荷・開運稲荷・必勝稲荷

受験を控えた方には、なかなか強力なラインナップではないかと思います。


(2002-02-04)

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