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陣屋事件(1952)

1952年2月18日、日本の将棋界に激震を引き起こした「陣屋事件」が起きました。

この日、神奈川県鶴巻温泉の旅館・陣屋で行われるはずだった王将戦第六局に木村義雄・第14世名人の対局者、、升田幸三八段が現れませんでした。

この事件の真相については半世紀が経過した今も全く分かっていません。

升田の弁によれば、旅館の玄関に入ってベルを鳴らし、何度も声を掛けたが、誰も出てこないので、頭に来て帰った、ということでした。しかし実際にはこの旅館にベルは付いてなかったようでした。

升田が別の旅館に滞在していることを知った丸田祐三らが呼びにいったものの升田は応じず、結局対局は行われませんでした。2月、雪の日の出来事でした。

この問題について将棋界では升田の処分を求める声が出ますが、するとそれに反発する人が出て、騒然とした状況に陥ります。一時は東京と大阪の将棋界が分裂するのではという危機にまで達しますが、結局木村14世名人の裁定によりこの対局は升田の不戦敗とし、第七局は予定通り行うということで決着しました。

結果的には升田はお咎め無しです。そして升田は第七局で木村に勝ち、王将位を獲得しました。

この時はそれまでの対局で升田が木村に対してかなり挑発的な行動を取っていて不穏な空気が流れていました。更には当時将棋界の内部に様々な思惑が入り乱れていて一触即発のムードがあった所に起きた不可解な事件でした。

この事件について、一部には升田が木村の名誉のためにわざとこういうことをしたのではないかという説もありました。当時の棋戦では3勝した場合、次の対局では勝っている側が香落ち(香車を1枚外して行うハンディキャップ戦)で戦うというルールがありました。当時対戦者の木村は棋界の頂点に立つ名人。その名人が、自分が香落ちで戦うのなら良いですが、対戦者が香落ちという状態で戦うというのは屈辱です。

この王将戦では升田がそれまでに3勝していたので、陣屋での対局はこの香落ちでの対局になるはずでした。ところがそれが升田のドタキャンで実現しなかったのです。おかげで木村名人はこの屈辱を免れることができました。

しかしこの説については反対する人が多いです。

というのもそもそも升田は棋士になるため郷里を出た時「自分はいつか名人に香を引いて勝つ」と書き残していたことが知られています。そういう野望を持っていた升田が、この絶好のチャンスを自分で潰す訳がありません。

更には升田は5年後の1957年に再び王将戦で今度は大山康晴名人と対局しますが、この時も升田が三勝して、大山は升田の香落ちで戦う羽目になり、実際「名人に香を引く」を実現しているのです。(対局は升田の勝ち)

という訳で、結局この事件の真相は深い雪の中に閉じこめられたままです。

なお、この三勝香落ちルールはその後廃止されています。


(2007-02-18)

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