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日航機御巣鷹山事故(1985)

1985年8月12日19:01、羽田発大阪行きの日航のジャンボ機123便(ボーイング747SR046型機)が群馬県上野村の御巣鷹山(標高1639m)山中に墜落、乗客乗員の内520人が死亡。奇跡的に4名の女性が生還しました。

18:27に飛行機の異常を知らせる連絡が入り、18:33羽田へ引き返す旨の連絡が入ります。この時通常は左へ旋回するのですが、この時はたまたま副操縦士の訓練のために機長が普段と逆の席に座っていたため、機長の視界のよりきく右旋回を選択します。しかし18:39機体後部が壊れた旨の連絡、そして18:46と18:54に「操縦不能」と連絡、19:01レーダーから機影が消えました。

この事故の原因は客室内の空気圧(空の上は気圧が低いので飛行機の中は加圧して地上の気圧に近い状態にしています)を支えている圧力隔壁が金属疲労により破壊され、機内の空気が一気に噴出して垂直尾翼を吹き飛ばした為、とされています。

事故を起こした飛行機は1974年に就航したもので、まだ11年半しか飛んでいませんでしたが、1978年に大阪空港着陸の際機体後部が滑走路に接触して中破した経歴があり、金属疲労で吹き飛んだのもその修理した部分でした。事態を重く見た当局は至急航空各社に隔壁部分の総点検を指示、この点検で他社でも金属疲労により隔壁に亀裂の入っているものが見つかり、「金属疲労」という言葉が日本列島を駆けめぐりました。結果的には1978年の事故の時の修理ミスではないかとの意見もあったのですが、最終的な原因は曖昧なままになってしまいました。

墜落現場はものすごい山奥で、自衛隊のヘリが現場を確認したのが事故から1時間半後。すぐに救助隊が入りますがその近くまで行く道が存在しない部分と分かりその日は断念、翌日結局自衛隊のレスキュー部隊がヘリコプターから降下して救援活動を始めました。この救助活動の遅れのため墜落直後はまだ生きていた人もまたかなり亡くなったようです。もし機長が通常の席に座っていたら水上に墜落してひょっとするともう少し多く助かったかも知れませんが、逆にそのまま沈んで誰も助からなかった可能性もあり、なんとも言えないところです。

この事故の生存者の中に日航の非番のアシスタントパーサー落合由美さんがいたため、墜落の時の機内の様子が正確に記録されることになりました。彼女が語った言葉の中で「ダッチロール」という言葉は↑の「金属疲労」と合わせてこの年の流行語になります。

この事故からもう今年で13年がたちました。仏教では昨年が13回忌。その13回忌には260人ほどの遺族が12日早朝から山に入り、死者の冥福を祈りました。

合掌。


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