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貴ノ花・輪島、大関昇進(1972)

1972年9月27日、大相撲で、貴ノ花と輪島が同時に大関に昇進しました。

当時は大鵬・柏戸時代が終了し、(柏戸引退1969年7月、大鵬引退1971年5月)次の世代を担うかと思われた北の富士・玉の海のダブル横綱が登場するも、その玉の海が虫垂炎の手術後急死するという事故があり、時代は更に新しいスターの登場を密かに期待していました。

貴ノ花(現二子山親方)は名横綱・若乃花(先代二子山親方)の実弟。北海道の室蘭市生まれで、初め水泳選手でしたが「水泳では飯が食えない」と言って相撲に転向、兄の若乃花が主宰する二子山部屋で、親方の弟だというので、先輩力士たちにたっぷりと(良く言えば)しごかれ、相撲の力も精神力も大いに付けて、幕内まで駆け上がって来ました。

一方の輪島は石川県七尾市出身(輪島市出身ではない。輪島は本名)。学生横綱になり幕下付出しからスタートして、トントンと順調に地位を上げてきました。そして、このあとも翌年5月には横綱に昇進、やがてその後横綱になった北の湖とともに、北の湖・輪島時代を作り上げることになります。

これに対して、貴ノ花は軽量力士故に怪我にも苦しみ、結局大関在位50場所という立派な成績を残したものの、最後まで横綱になることはできませんでした。貴ノ花は2度優勝しています。1975年の3月場所と9月場所ですが、いづれも、北の湖を優勝決定戦で破ってのものでした。3月の優勝の時は当時審判部の副部長であった実兄・若乃花が特例として優勝旗の授与役を任命され、兄から弟へと涙の優勝旗授与がありました。

引退後、鳴戸親方を襲名、後に藤島に名跡変更して、この部屋で安芸ノ島、貴闘力ら、及び実子の兄弟横綱、若乃花(3代目),貴乃花(2代目)を育て上げたことは言うまでもありません。1993年には先代二子山親方の退職に伴い、旧二子山部屋と合併して現在に至ります。

一方の輪島も横綱在位中、ずいぶん怪我に悩まされ、何度も休場しています。しかし、彼はそれでも常に存在感を示し続けました。

1978年にも9月場所休場のあとの11月場所。13勝2敗という立派な成績を残しています。(この時の優勝は2代目若乃花で15戦全勝)また1980年には1月場所と7月場所を休場。もうこのまま引退か、とまでささやかれたのですが9月場所では11勝4敗であったものの11月場所は14勝1敗で14回目の優勝を飾って、輪島不滅をアピールしました。(しかし結局これが最後の優勝になりました)

引退後は花籠部屋を率いていましたが、年寄名跡が妹さんの経営するちゃんこ料理屋の借金の担保になっていたことが発覚して廃業。その後はタレントとして活躍しています。

貴ノ花利彰 初土俵1965年5月場所 優勝 2 成績 726勝490敗58休輪島大士 初土俵1970年1月場所 優勝14 成績 673勝234敗85休

なお、9月27日という日付は1989年に貴ノ花の実子の貴花田(現・横綱貴乃花)が17歳2ヵ月で、史上最年少の十両昇進を決めた日でもあります。


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