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帝銀事件(1948)

1948年1月26日午後3時過ぎ、帝国銀行椎名町支店に厚生省の技官を名乗る男が現れ、近くで集団赤痢が発生したとして、予防薬と偽り毒物を行員に飲ませるという事件が起きました。12名が死亡し、犯人は16万円と小切手1枚をとって逃げました。

この事件の犯人として8月21日、テンペラ画家の平沢貞通氏が逮捕され、この日起訴されたものです。裁判では平沢氏が一貫して無罪を訴えましたが、1955年最高裁で死刑が確定。その後何度も再審請求が出されましたが全て棄却されています。

平沢氏は結局そのまま1987年5月10日八王子医療刑務所で病気のため死去。95歳でした。支援者の人たちはいまだに再審請求を重ねています。

戦後多くの冤罪事件が起きていますが、帝銀事件はまだ犯人とされてしまった人の名誉回復がなされていない事件の一つです。しかも犯人とされた人が誰が見ても全く犯人らしくない変な事件です。

この事件には不振な点が多すぎました。まず毒物は青酸カリとされたのですが、被害者の死に方が青酸カリではない、という意見が多いようです。また当初から毒物に詳しい人物として731部隊の関係者が多数取り調べられていたのに、突然何の関係もない、しかも毒物に関する知識など全くない平沢氏が逮捕された経緯も不可解すぎます。

731部隊(及びそれに関連する数個の部隊)は中国で戦時中化学兵器や生物兵器の人体実験を行っていました。本来なら全員戦犯として極刑に処されていたところなのですが、このデータをアメリカが欲しがったといいます。そのため、731部隊に関して何も問わない代わりにその実験データがアメリカ軍事筋に渡されたと噂されています。731部隊の責任者も渡米して向こうの技術者にいろいろな情報を提供していたようです。

そういうさなかに起きたのがこの事件で、恐らく犯人はやはり731部隊の関係者でやや特殊な毒物を使用したのでしょうが、その裁判をやることによって、軍事機密が漏れることを恐れたGHQが731部隊に関する捜査を中止させ、結果的に他方面から事件に迫る内に誤認逮捕につながったというのが、恐らく事実に近い所なのではないかと思われます。

法務省の中に最高裁で死刑が確定した事件について、念のために再度調査して万一にも冤罪ではないかということをチェックする機関があるそうです。ここで間違いないとされたものが法務大臣に報告され、法務大臣が印鑑を押せば、死刑は執行されます。しかし平沢氏の死刑は最後まで執行されませんでした。恐らく法務省の調査機関の結論は「NO」だったのでしょう。しかし日本には彼のようなケースを無罪として釈放するための制度も存在しませんでした。再審を掛けるにはデータが弱すぎたことも事実のようです。

帝銀事件にはいろいろな割り切れなさが残ります。

なお、この事件に取材した推理小説も多いようです。例えば横溝正史の「悪魔が来たりて笛を吹く」などもあります。


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