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東京都庁舎完成(1991)

1991年3月9日、西新宿の高層ビル群の中に、新東京都庁舎が完成しました。

庁舎はツインタワー型の第一庁舎(243m)と3つの高さの違うビルが重なった形の第二庁舎(163m)からなります。設計は代々木競技場や赤坂プリンスホテルの設計者としても知られる丹下健三(1913-)。総費用は1570億円。完成当時は日本で最も高いビルでした。また庁舎前の都民広場には池田宗弘など8人の作家による彫刻が展示され、重厚な雰囲気を漂わせています。

それまでの都庁は丸の内(現・東京国際フォーラム)にあり、関連の役所があちこち分散していたのをひとつにまとめて、各種手続きなどを続けてしやすくする効果があるとされました。この引越は一大プロジェクトで、また移転直後は大量に引っ越してきた職員がお昼に食べに行く食堂などが近辺で完璧に不足しなかなか大変であったようです。私は完成して2年後の1993年の4月に初めて訪れ、これはまた凄い物を作ったものだとしばらく半ば感心し半ば呆れて見とれていました。

話の発端は約20年前の美濃部知事時代(1967-1979)に遡ります。1971年3月に「広場と青空の東京構想」試案がまとめられ、その中で新宿地区に都民ホールを作ろうという提案がなされました。その後いっそこちらに本庁も移転させようという意見が出てきますが、1974年にはいったん都庁は丸の内で立て替える意見が支配的になります。

鈴木知事時代(1979-1995)になってから新宿への移転推進派が強くなり、一時的に新宿と丸の内に1個ずつ庁舎を作るという変な案も出ますが(こんなものが実行されていたら大変なことになっていた)最終的には全て新宿または丸の内のどちらかに集約するという常識的な一元論に落ち着き、どちらにするのかは知事の判断に委ねることにしました。そして鈴木知事が新宿を選択。1985年に都庁の新宿移転が決まったのです。しかし、バブル期の浮かれた雰囲気が無ければ、赤字の都政でこれだけの費用を掛けた新庁舎の建築・移転の企画は実行できなかったでしょう。

新宿は新宿駅をはさんで東新宿と西新宿がまるで違った顔をしています。東新宿は新宿通に並ぶ商業ビルや歌舞伎町の歓楽街などで庶民の町の顔をし西新宿は多数の高層ビルによりビジネスの町の顔をしています。御飯を食べるにしても、相場が随分違ってきます。

この西新宿の高層ビル群は淀橋浄水場の跡地に昭和40年代から次々と高層ビルが建てられていったもので、ここに勤務する人は12万人ともいわれます。交通の要所である新宿にこういう大きな副都心機能があるのは合理的なことです。丸の内は交通の便としてはそれほど良い場所ではありませんでした。しかしこの高層ビル群の中で、ホテルの最上階レストランなどから下を見ると地上の人間が豆粒のように見えますし、下に立ってビル群を眺めていると空間の感覚がおかしくなってくる感じがします。実際にその方面に敏感な人には空間の歪みのようなものが感じられ、居心地の悪い場所だといいます。


(2004-03-08)

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