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ミロのヴィーナス(1820)

「ミロのヴィーナス」の通称で知られるパリのルーブル美術館蔵の大理石製アフロディーテ像は、1820年4月8日、エーゲ海のメロス島で発見されました。

発見の経緯に関する様々な資料の記述は若干混乱していますが、大筋を辿ると次のようなことであったようです。

メロス島の農夫でYorgosという人が、島の洞窟の中で、変わった形の大理石の断片を2個発見したのが最初です。彼はこれが何か値打ちのあるものかも知れないと考え、とりあえず自分の畑の中に埋めて隠そうとしたのですが、その埋めている最中を、たまたま島を訪れていたフランス人水夫Olivier Voultierという人に見られてしまいました。ヴルティエは農夫が、いかにも怪しげなそぶりであったことから何をしていたのか問い糾すのですが実は埋めていたのは人間の死体などではなく、大理石の像の一部のようなものであったことを知ります。

彼はその断片が他にもあるかも知れないと考え、ヨルゴスおよび仲間の水夫と一緒に元々彼が発見した付近を探索。あと4個の断片を発見しました。彼らの上官であったJules Dumont d'Urville は、その合計6個の断片をつなぎ合わせると、女神の像になりそうだということに気づきますが、これからこの像の所有権を巡って様々な人や様々な国を巻き込んで激しい争いが生じました。

結果的に勝利を収めたのはフランスで、トルコ大使も務めていたRiviere侯爵という人が1000フランでこの像を買い取り(誰からなのか分かりませんが、多分Yorgosから???)、パリに持ち帰って修復作業をおこない国王ルイ18世に献上。国王はこれをルーブル美術館に収納しました。

王はこの像に腕の先が無いのが不憫だと考え、一流の彫刻家に命じて、その腕の先を作って付けてやるよう指示をします。しかし彫刻家がいろいろ考えて提案した、腕の先の構図はいづれもルイ18世を満足させるものではなく、結局この像は腕の先は無いままのほうが良い、ということになってしまいました。おかげで、この像は発見されたままの状態を保つことができました。

この像は大理石製。高さ2.02mで、様式からヘレニズム時代の初期のものと推定されています。一緒に発見された台座に「アンティオキアの市民、メニデスの息子、アレクサンドロス」という銘があり、これが作者の名前と考えられています。時代はだいたいBC150〜120頃ではないかとみられます。

アンティオキアは小アジアの都市で、地中海の東北端近く。現在はトルコとシリアの国境付近になっています。ミロス島はそこから遠く離れたエーゲ海の真ん中付近の島。おそらくはこの島の資産家かこの島に赴任した貴族が、小アジアの腕の良い彫刻家に彫らせて島に持ってきたものなのでしょう。


(2004-04-08)

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