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モナリザ盗難(1911-1913)

1913年12月12日、盗難されて行方不明になっていた名画『モナリザ』が発見され、無事ルーブル美術館に戻されました。

レオナルド・ダ・ビンチ(1452-1519)の名作『モナリザ』が盗難されたのは1911年8月22日のことです。観覧に来た人が気付いて美術館の係員に通報しますが、最初は「スタジオにでも行ってるんでしょう」などという対応。本当に無くなっていることが分かって大騒ぎになるまでかなりの時間がかかりました。

国宝級の盗難とあって、大規模な捜査線が引かれましたが、これで思わぬとばっちりを受けた人物がいます。詩人のギヨーム・アポリネールです。彼は友人がルーブル美術館からしばしば小品を盗んで売りさばいていたことが分かり、共犯ではないかと疑われて逮捕され、モナリザのことについて厳重な取り調べを受けました。

その当の友人はまんまと逃げており、アポリネールも小品盗難とは無関係だったのですが、彼が逮捕されている間に、恋人の画家マリー・ローランサンの母親が「そんな人とは別れなさい」と言い出し、ローランサン本人もアポリネールに対して熱が冷めていたため、これが二人の破局につながっていきます。

『モナリザ』が発見されたのはフィレンツェでした。犯人はイタリア出身の木工大工で、ルーブル美術館の絵画の保護ガラスをはめる工事をしていた男でした。彼は「フランスに奪われたイタリアの宝をイタリアに連れ戻したのだ」と供述しました。

しかし実際問題として『モナリザ』はフランスが奪取したものではありません。ダビンチの弟子が、ダビンチの修行の地であるフランスの国王に贈ったものです。また、犯人逮捕後事件の背景も分かりました。『モナリザ』を盗ませておいて、その間に偽物をコレクターに売りつけようというグループがこの大工をそそのかしたものでした。しかし彼自身は分け前をもらっていなかったため、金に困って古美術商の所に持ち込み、これが犯人逮捕につながりました。

『モナリザ』の作者はレオナルド・ダ・ビンチはフィレンツェの近郊ビンチ村で1452年4月15日に生まれました。若い頃からその美術的才能を認められ、1472年には画家組合に加入。1481年には大作「東方の三博士」の制作を始めますが、この作品は翌年ミラノに移動したため未完成のままになってしまいます。ダビンチはミラノのロドビコ・スフォルザの許に18年間滞在、ここで彼は美術だけではなく科学の研究も深く行います。

1499年フランスのルイ12世がミラノを攻略、ここがフランス領になってしまうと、ダビンチはミラノを去りいくつかの都市を経て1503年またフィレンツェに戻りました。『モナリザ』が制作されたのはこの頃で、1503年頃から1505年頃にかけて制作されています。ただしダ・ビンチはこの作品にかなり入れ込んでいて、この後何度も何度もこの絵に修正を加えているようです。

この『モナリザ』の制作が一段落した頃、彼はフランスの招きでミラノに移動、ここで晩年のほとんどを過ごすことになります。彼が亡くなったのは1519年5月2日フランスのアンボワーズ近郊クルーでした。

レオナルド・ダ・ビンチはしばしば最後の万能人と呼ばれ、彼の業績は非常に広い分野にわたっています。以前全日空の飛行機の尾翼に描かれていた人力飛行機は彼が熱心に実験したものですが、彼はこれを使って崖から飛び降りて大けがをしたこともあります。

『モナリザ』は木の板に油絵で描かれています。このためこの絵の保存には湿度調整に非常に気を使います。この作品はルーブルから滅多に出ることはありません。海外に出たのはわずか2回で、1回が1963年アメリカ、もう1回が1974年4月20日日本の東京国立博物館です。

『モナリザ』のモデルに関しては、定説がありません。フィレンツェの有力者フランチェスコ・デル・ジョコンドの妻エリザベッタという説、ナポリのイサベラ・グアランダという説、などなど多くの説があります。中にはこれは女装したダビンチ自身ではないか、などという説まであります。


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