心への旅(3)旅のきっかけ

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6〜7月にupしたお遍路さんの話では密教の世界の紹介がかなり大きなウェ
イトを占めていました。私が密教の世界に興味を持ったきっかけは、1974年の
1〜3月にNHKの教育テレビで河合隼雄氏の講座を見たのがきっかけです。

たまたまテレビを付けた時に目と耳に飛び込んで来たその講座で私は無意識の
世界の話を聞き、一方では心理学を勉強し始めるとともにマンダラというもの
を知り、そこから密教の世界・神道の世界へと探求の手が広がって行きました。
まぁ、長くやっている割には全然進歩していない感じですが。

しかし、精神分析というものに対する社会の評価も当時と今ではずいぶん変わ
って来たように思います。当時のテレビの中で見る河合氏は「若き挑戦者」と
いう感じでした。

河合氏はよく知られているように京都大学の数学科卒業後、はじめ教師を志し
教師になるからには生徒の相談相手にもならなければ、ということで心理学を
勉強し始め、カウンセリングを本格的に勉強するためにアメリカに渡り、たま
たま付いた先生がユング派だったため、そこから更にスイスのユング研究所に
留学、日本で初めてユング派の精神分析家の資格を取得。日本の精神分析家の
草分け的存在となります。

また前回名前をあげた恩師浜田哲郎氏も数学科を卒業後心理学に転向した方で、
私は大学時代、その二人の師の経歴に自分の数学科の学生としての実在を重ね
合わせて、自分もそういった人の心の中を探訪する道に進みたいものだと思っ
ておりました。

さて、個人的なことは置いておいて精神分析の祖であるSigmund Freud(1856-
1939)とその精神分析の中で一大潮流となる分析心理学の祖Carl Gustav Jung
(1875-1961)がこのような深層心理の世界を探求するようになったきっかけを
見ておきましょう。

フロイトは最初神経学を専攻し、そこから精神科医としてJoseph Breuer(1842
-1925)とともに神経症の患者の治療に従事します。彼らが使用したのは催眠術
でその結果、患者自身も忘れてしまっていた昔の心の傷(trauma,トラウマ)が
浮かび上がって来て、それが神経症の原因になっていたという事例を発見します。

この心的外傷は確かに心の中に存在していた内容であるにも関わらず患者自身
の意識の中には全く見られなかったものでした。そこでフロイトはここから、
その心的外傷が存在していた場所としての「無意識」という概念に思い至った
のです。

ところでフロイトは催眠療法は結局一時しのぎで、再発することが多いことと
催眠療法で明らかになった無意識下の心的内容を意識の戻った患者が拒否して
しまうことに悩み、この方法を断念。自由連想法を編み出します。これは心に
浮かんだことを何でも構わずどんどん報告させるものです。これは患者の意識
がある中で行なうので、その分析の結果分かって来たことは患者も受け入れや
すいものでした。

一方同じ頃ユングは言語連想法による神経症の治療を試みていました。これは
一つの単語から連想する単語を答えさせ、その反応時間を見るものです。推理
小説好きの人なら江戸川乱歩の作品に出てきた心理テストだと言えば分かるで
しょう。

なおユングは東洋の研究家を父に持ち、学位論文ではオカルトの心理学につい
て述べたほどの人で、人間の内的な世界に非常に強い興味を持っていました。

ユングはその言語連想法の結果の分析から、患者が特定の単語に対して著しく
反応が遅れる場合があることを発見、その原因を追及するうちに、そこに意識
に登らない統制作用が働いていることを仮定するようになりました。

そんな時に彼はフロイトの論文を読み感銘を受け、1907年ウィーンにフロイト
を訪ねます。フロイトも自分の考えを真に理解してくれる人が現れたことを喜
び、20歳年下の彼を自分の後継者とみなし、1910年国際精神分析学会の結成に
当って彼を初代会長に押します。二人の蜜月時代は約5年間続きました。

しかし、やがて二人は決別します。原因は色々と言われています。フロイトの
リビドーの理論をユングが批判したためとも、或いは二人がお互いに分析し合
っていたとき、ユングがフロイトの他人に触れられたくないことを発見してし
まい、それについてフロイトが激しく否定した為とも言われています。

その先に起きたことについては、このシリーズの後の方できっと触れることに
なるでしょう。
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