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心への旅(6)元型:影

影(shadow)という元型はたいへん分かりやすい象徴を作ります。

これは本人が生きられなかった半面を表わすもので、夢の中では同性の人物像で
現れることが多いようです。

例えば本人が内気で淑やかな女性であった場合、影は勝気で賑やかな女性の姿を
取ったりします。それはしばしば、本人の知人でそういう性格の女性の姿であっ
たりします。

夢の中で影に出会った場合(正確には影の投影するイメージに会った場合という
ことですが、回りくどいので以下このような言い方をします)、本人はたいてい
彼女に対して嫌悪感や恐怖感などをあらわにします。

これは本人は今までしとやかな女として生きて来たが、心の中では自分も活発で
ありたいという気持ちも存在し、しかしそういう生き方を自分自身が受け入れる
ことができないままである、ということを示しています。その受け入れられない
という気持ちが嫌悪感で表現されたのです。

影はしばしば本人の配偶者に投影されていることがあります。非常に「いい人」
の奥さんがとんでもない悪妻などというパターンをよく耳にしますが、そういう
場合、本人があまりに善良な性格・暖かい性格を形成しているために、その人に
受け入れられなかった意地悪な性格・厳格な性格などが奥さんに押しやられて、
本人の影の役割をさせられているケースです。頼まれたらイヤと言えない性格の
夫に対して、断り上手の妻がいれば結果的にバランスが取れています。このよう
に夫婦や兄弟・親子などはしばしばお互いの内面の補償機能を負っていることが
あります。

ユングは「生きた形態は塑像として見えるためには深い影を必要とする」と言っ
ています。影は人間に取って、生きる上での味のようなものを出している存在と
言えるでしょう。それはある意味では「まだ自分が生きていない部分」だと言う
こともできますから、影を自分自身に統合することができれば、そこにひと回り
成長した新たな自分が生まれるのです。

むろん「生きられなかった半面」は幾つもあるでしょうから影のイメージは一つ
ではありません。我々は人生の中で何度も何度も影の統合を実行することになり
ます。

影はまれに怪物の姿を取ることがあります。その場合影は自我から遠い所にある
と考えられます。自我の近くまで来ると、影は次第に人の形を取り、最初は見知
らぬ人であったのがやがて知人などに変わります。そこまで来るとその影は統合
できる可能性があります。

永井豪の「デビルマン」の不動明は悪魔という強力な影を自分に取り込み、強い
自分を再生させた例でしょう。この影の統合という作業には非常に大きな苦難が
あり、また危険性もあります。

アンデルセンの「影法師」は影との対決をひたすら回避していた学者が、やがて
その影に殺されてしまうという怖い話です。

自分の回りを見回して「嫌いな人」や「嫌な奴」がいた場合、その人は実は自分
の影の投影であることはよくあることです。その場合我々はその統合という作業
から逃れるためにその人に「悪」のレッテルを貼って「悪の排除」という名目で
心の安定を図っている訳です。

影というものを理解する上でとてもいい作品としてアーシュラ・ル・グゥィンの
「ゲド戦記」があります。これは現在4巻まで出ていますが、その第1巻のタイ
トルがまさに「影との戦い」です。

魔法使いの学校で修行をしていたゲドはある日同級生と魔法の決闘をして、地の
中から恐ろしい魔物を呼び出してしまいます。大魔術師が命を投げ出して封印を
したため大事には至りませんが、ゲドは大怪我をし、魔物はどこへともなく消え
去ります。

やがて学校を卒業し、魔法使いとして地方に赴任したゲドは病気で死にそうな娘
を助けようとして娘の心の中に入って行き、そこであの魔物に出会ってしまいま
す。魔物はなぜか人の形になっていましたが、一目であの魔物と分かりました。
彼はどこかでゲドに会えるのをずっと待っていたのでした。

あまり筋を書いてしまうとこれから読む方に申し訳ないのでやめておきますが、
分析心理学の知識のある人ならば、ゲドが捜し求める「魔物の名前」は、すぐに
分かってしまうでしょう。


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