心への旅(21)祈るかまきり

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ブッシュマンの伝説では、カマキリはこの世に現れた最初のブッシュマンだっ
たといいます。

カマキリは働き者の奥さんの岩うさぎとの間に3人の子供をもうけ、「全てを
喰らうもの」の娘やまあらしを養女にしました。やまあらしには元気で何でも
知りたがる息子と大人しくて引込み思案の息子がいました。

カマキリはたくさんの冒険をしますが、ある時、全てを喰らうものが一家全員
を飲み込んでしまいます。しかしやまあらしは彼の性格をよく知っていたので、
二人の息子を励まして戦わせ、二人は左右から打ちかかり、全てを喰らうもの
の腹を破って再びかまきりの一家が生まれます。

彼女は助けた一家とともに遠い所に行き無事に暮らしました。

この話は秋山さと子氏がチューリッヒのユング研究所に留学中、全くの偶然で
聞いたヴァン・デル・ポストの講演の中に出てきたものです。カマキリは学名
をマンティスといい、これは占う者という意味です。ふつうに見られる緑色の
カマキリはプレイイング・マンティス(祈る占い者)と呼ばれ、これは前足を
掲げたカマキリの姿が祈るように見えるからだと言われます。

秋山さと子(1923.2.26-1992.1.5)氏は河合隼雄氏と並び日本へのユング心理学
紹介に大きく貢献した人でした。彼女の経歴は非常に特殊です。曹洞宗のお寺
の家に生まれ、文化学院卒業後19歳で結婚するが28歳で離婚。歌手、デザイナ
ー、放送・映画関係の仕事を経て35歳で駒沢大学仏教学部入学。卒業後の1964
年西ドイツのテレビ局スタッフの招きで渡欧、全くの偶然によりユング研究所
に学ぶことになり、心理分析家としての訓練を受け1968年帰国。日本人の深層
心理の世界に関する執筆、講演、カウンセリングに活躍。お茶の水女子大学講
師、駒沢大学講師、東洋大学講師をつとめる。

このユング研究所で学ぶことになった経緯はちょっと変わっていて、詳しいこ
とはこの留学中のことを書き留めた「チューリッヒ夢日記」(筑摩書房,1985)
を見ていただいた方がいいのですが、概ね次のような事情でした。

1964.05月 ハンブルグのオペラでたまたま隣に座っていた作曲家ハインリヒ・
     ズーダーマイスターの自宅に招かれ、そこで従兄のC.A.マイヤ
     ーに出会う。

     続いてコペンハーゲンでキルケゴール会の会長ソエ教授の通訳を務
     めた後自宅に招かれ、そこでユング派の分析家であるソエ夫人にチ
     ューリッヒのユング研究所によることを勧められる。

1964.08月 テレビ局のプロデューサーがチューリッヒの親戚の家に寄るように
     勧めてくれたので、チューリッヒに立ち寄る。しばらく滞在してい
     た時、ヘルムート・ヴィルヘルムという人の易経の講義があるとい
     うのでユング研究所へ。講義が終って何人かでお茶を飲んでいる内
     に研究所の人を紹介され、そのまま入学することになってしまう。

1964.10月 誰か分析家に付かないといけないと言われ、ふとハンブルクで会っ
     たマイヤー氏を思いだし、誰がいいか相談しようと思い連絡を取る。
     しかし彼こそユングの高弟であり、ユング研究所の初代所長であっ
     た。そのまま彼の分析を受けることになる。普通は特別な紹介がな
     ければお目にかかれない人であった。

秋山氏がユング研究所に入った動機は滞在許可を得るにはどこかの学生になっ
てしまうのが一番楽という安易な考えだったということで、この偶然の積み重
ねが、この素晴らしい伝道者を生んだのでした。秋山氏の経歴を見ていると、
離婚までを人生の第1期とすれば、芸能界で活動した第2期、そして心理分析
家としての第3期、とまるで3つの人生を生きたかのようです。彼女がユング
研究所に入学したのは41歳のとき。人間の可能性というのは凄いものです。

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という所で、この連載はここでひとまずお休みとします。また書きたいことが
たまったところで続きなり補追を書くこととしましょう。
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