地蔵菩薩

日本における仏教は常に神道とともに歩んで来ました。江戸時代末期に盛んに
なった国学の系統の人や水戸などの朱子学の系統の人がそれを批判し、明治政
府ができてから、いわゆる神仏分離政策を行ったのですが、これは必ずしも正
しいことではなかったのではないかという山折哲雄氏の主張に私は同感を覚え
るのです。日本人にとっては生まれた時にお宮参りをし、死んだら坊主にお経
をあげてもらう、というのがごく自然な感覚であり、これは西洋のreligionの
翻訳としての「宗教」ではなく、日本の文化と一体の日本人の潜在意識に染み
込んだ信仰なのだと私は思います。従って日本人の心の中に潜む霊的なものを
明らかにしていく上では、神仏習合の概念を正しく理解しておかなければなり
ません。キリスト教徒で旧約聖書と新約聖書は違う思想で出来ているものだか
らこれを分離すべきだ、と主張する人は多分少数でしょう。

そういった神仏習合の思想の中で、神と仏の中間領域に位置付けられて信仰さ
れた神や仏たちがいます。八幡大菩薩とか「だいこくさま」などといったもの
もまさにそういう領域にあったのですが、強権による神仏分離と過去の神道を
破壊するかのような国家神道の時代を経ても、いまだに民衆の心の中に、しっ
かりと神と仏の領域にまたがったように信仰されているものもまだまだありま
す。その代表格が今回とりあげる地蔵菩薩こと「お地蔵さま」です。

大分県の日田市の近くに高塚地蔵という所があります。小さなお地蔵さんです
が、九州一円から参拝の人々が集まってきており参道はいつも賑やかで線香の
煙がいっぱいです。最近すぐそばにインターチェンジができましたので、益々
人が多くなるのではないでしょうか。

ところでここで本題なのですが、ここのお堂の前で参拝している人を見ていま
すと、合掌する人と柏手を打つ人の両方がいるのです。若干合掌派が多いので
すが、柏手派も相当います。これは何を意味しているのでしょうか?

それは民間信仰においては「お地蔵さま」というのが仏なのか神なのか曖昧に
捉えられていることを如実に表しているのではないでしょうか。そもそもここ
の高塚地蔵のお堂はほとんど神殿のような造りになっています。

青森県の恐山は日本三大霊場の一つであり、賽の河原などもあって、入り口付
近の太鼓橋より向こうは全てあの世という感がありますが、ここは三体の山を
背景に地蔵堂が建っていて、これが又まるでその山がここの御神体ででもある
かのような感じです。

柳田国男は日本人が「西方浄土」などといって死んだ人はずっと西の方にある
阿弥陀如来様の国に行くのだと口では言っておきながら実は死んだ霊魂は山へ
行くと信じているダブルスタンダートがあるのではないか、という分析をして
います。この恐山のように死霊の赴く山というのは昔は随分あちこちにあった
ようです。今でも残っている所として四国の弥谷寺などがあります。

そういう死霊のいる場所に地蔵がいるのはある意味で当然です。仏の身で自由
に地獄におもむき、そこで苦しむ人々を助けることができるのは地蔵菩薩のみ
だからです。地獄の賽の河原で泣く子供の霊をなぐさめる地蔵菩薩の話が
地蔵和讃に歌われています。ここで祖霊信仰と地蔵信仰の交わる所が出て来ます。

仏教においては、地蔵菩薩は釈迦入滅後、56億7千万年後に弥勒菩薩が出現する
まで六道(地獄道・餓鬼道・阿修羅道・畜生道・人間道・天道)の一切衆生を
教化する存在とされています。よく六地蔵というのが立っていますが、これは
六つの世界に現れた地蔵の姿を表わしたものです。この六地蔵には、宝珠地蔵・
宝印地蔵・持地地蔵・除蓋障地蔵・日光地蔵・檀陀地蔵という名前が付いています。

ところがこうやって建てられた六地蔵には道祖神の要素が混合しているように
思います。道祖神は村の境界に建てられ、外部から邪悪なものが入ってくるの
を防ぐ神なのですが、日本では古来より村の外部というのはある意味であの世
であり、村の内部がこの世であるという思想がありました。そしてあの世にい
るもののことを「鬼」と呼んだのです。そこで鬼の世界と人間の世界の境界に
両方に存在できる地蔵が登場してきたと思われます。道祖神はいわば村に結界
を掛けて人々を護るものですが、地蔵にもこの結界を作る働きがあるようです。

その結界という作用を地蔵が持った時、この地蔵は鎮魂の場所にも建てられる
ようになりました。何か悲しいことが起きた場所に置かれたお地蔵さん。それ
は亡くなった人に安らかに成仏して下さいと願う祈りが込められているととも
に、裏を返せば、こちらの世界に戻って来ては駄目だよ、という結界の意味が
あります。

このようにして、お地蔵さんというのは民間信仰の中に溶け込んで行きました。
地蔵の形には、一般に童子の姿の地蔵と僧形の地蔵がありますが歴史的には僧
形のものが古い形で、だいたい12世紀ころから童子の形の地蔵が出てきたと
されます。そして呼称も「地蔵菩薩」から「お地蔵さま」に変化していったの
ではないでしょうか。その変化の時期というのが地蔵という存在が、上記のよ
うな諸々の民間信仰と混交して、仏教の中に閉じ込められた菩薩としての存在
から、宗教を離れた文化の中で人々の心の中で頼られる超越者としての存在に
変化していった時期なのではないかと、私は考えています。



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