up  日蓮宗

日蓮大聖人

日蓮大聖人は貞応元年(1222)2月16日、安房国小湊で漁師の子に生まれました。

近くの清澄寺で修行、得度しました。その後鎌倉の禅寺や比叡山、京都や奈良の諸寺を回りますが、その課程で日蓮の心の中には、なぜこんなにたくさんの宗派が存在しているのかという疑問、そしてこれほど仏教が盛んなのにも関わらずなぜ世の中は平和でないのかという疑問がだんだん大きくなっていきます。

そして、その疑問に対する一つの結論が得られた時、日蓮は地元安房国の旭が森に戻ってきました。時は建長5年(1253)4月28日早朝。日の出とともに日蓮は「南無妙法蓮華経」と法華経の題目を唱えて、立教を宣言しました。

日蓮は世の中が平和でないのは、世にはばかっている既存の仏教が誤りであるからに違いないと考えました。そして釈迦の教えが最もきれいに出ているのは法華経であるとして、この法華経への帰依が真の仏教者としてのあるべき姿であるとして、更に名は体を表すというがごとく、「妙法蓮華経」の5文字に法華経のエツセンスが入っているとして、「南無妙法蓮華経」と唱えるということを始めたのです。

この日蓮の姿勢は当然他の宗派と激しく対立し、まさに武力闘争も行われました。そして日蓮自身佐渡へ流されます。しかし聖人が「立正安国論」で予言した通りにモンゴルが攻めてくると、幕府も日蓮を流刑先から呼び戻して助言を求めたりします。

そしてその後は身延山(現久遠寺)に籠もって修行と弟子たちの育成に務め、最後は池上(現本門寺)の地で亡くなりました。

法華経の系譜

現代では仏教に詳しくない人は法華経といえば日蓮宗と考える人もあるのですが、法華経の重視は日蓮に始まったものではありません。

日本の仏教の基礎を作った聖徳太子も法華経を非常に重視しており、唯摩経・勝鬘経とともに、自ら人々に講義をしたと伝えられています。

その後天台宗を設立した伝教大師最澄も法華経を重視しました。天台宗というのは通常密教に分類されていますが、少し見方を変えると法華教のひとつに数えてもいいくらい法華経は天台宗で重要な地位を占めています。

なお、法華経の中の第25品はそれだけ取り出して「観音経」の名前でも有名です。これは各派でお勤めに使われたり、在家信者の人が読経したりしています。

日蓮宗の状況

日蓮宗は恐らく日本の宗教の中でも最も分派の多い宗派でしょう。

基本的に法華経の前半と後半のどちらを重視するかで、両方同等であるとする一致派と後半が大事であるとする勝劣派に分かれます。

一致派の大半は現在合流して団体としての「日蓮宗」を形成していますが、勝劣派は多数に分派しており、さらにそこから多数の日蓮宗系・新興宗教も生まれています。この結果、どの範囲までを日蓮宗に含めるのかも人によって見解が異なるかも知れません。

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