up  臨済宗

栄西禅師

栄西禅師は永治元年(1141)備中国の吉備津神社の神官の家柄に生まれました。

14歳で比叡山で受戒、2度にわたって中国に留学し、臨済宗黄龍派の禅を学びました。

最初博多の聖福寺でその教えを説き、ある程度信者が増えてきたところで自信を深め、鎌倉に赴いて幕府の中核に接触。北条政子の支援を獲得して京都と鎌倉に禅寺を開き、その後は両地をあしげく行き来して、禅宗の普及に務めました。

当時禅というのは全く新しい教えです。平安時代には真言・天台の2大宗派が幅を効かせ、一方では華厳・律などの奈良系仏教もまだまだ勢いを持っていました。そんな中庶民の中に念仏が広まり始めていますが、禅に関する受容の土壌はまだ育っていませんでした。

そこで栄西禅師はできるだけ既存の仏教と対立しないように、うまく全てをとりはこび、禅師が開いた寺も完全に禅だけをする寺ではなく、天台や真言も学べる寺にしていました。そして、この栄西禅師の努力のお陰で、日本に禅の土壌が形成されていくのです。

禅の流れ

禅宗はダルマ人形でおなじみ、達磨大師によって始められました。

五祖弘忍のあと、神秀の北宗禅と慧能の南宗禅に分かれますが、南宗禅の方が発展したため、慧能を六祖として、「祖」と呼ぶのはここまでになっています。

この慧能の弟子の中で行思の系列から曹洞宗や法眼宗などが生まれます。また慧能の弟子の懐譲の系列から臨済宗や為仰宗などが生まれます。

臨済宗は黄檗希運の弟子・臨済義玄から始まるものですが、この黄檗と臨済の師弟の激しいやりとりはあまりにも有名です。これはいづれどこかで書きたいと思います。

臨済の禅

禅宗の修行の基本は坐禅です。ひたすら座って瞑想をするわけですが、臨済宗ではその際にヒントとなる問題が与えられます。これは公案と呼ばれますが、一般に難解なものが多いです。

例えば両手で手を打つのではなく、片手で手を打つとはどういうことか、という公案があります。

こういう問題に「正解」はありません。偉いお坊さんが書いた解説を読んでも答えは得られません。これについて考える課程と、どこまで思索を深められるかというのが問題になります。

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