up  曹洞宗

道元禅師

道元禅師は正治2年(1200)京都で生まれました。父は内大臣久我通親、母は関白藤原基房の娘。名門の出ですが、3歳で父が、8歳で母が亡くなったことから世の無常を感じ、14歳の時に比叡山に上って出家しました。

その後三井寺に移り、ここで教えを受けた公胤から臨済宗を開いた栄西を訪ねることを勧められます。しかし栄西が間もなく亡くなってしまった為、結局3年後栄西の弟子の明全の弟子になり、間もなく禅の奥義を極めたとして許状をもらいました。

その後明全が中国に留学することになると道元も一緒に連れて行ってもらいます。そして中国で偶然天竜山の如浄に出会いました。如浄は道元を一目見ただけで大器と見抜き、その場で印可を与えます。

道元は如浄のもとで2年間修行を積み「身心脱落」という境地を体験します。そして帰国後、34歳で興聖寺を建て、ここで座禅を中心とした仏教の伝道を開始しました。

しか自然と既存仏教と対立することになり、興聖寺は焼き討ちにあってしまいます。このとき信者の一人波多野義重が越前の自分の領地を寄進するので来ないかと誘います。越州となれば自分の師如浄の出身地と同じ名前。感激した道元は越前に移り、その後曹洞宗の大本山となる永平寺を建立しました。

道元禅師は興聖寺で10年、永平寺で10年、弟子の指導と一般の人の教化につとめ、建長5年8月28日入寂しました。

瑩山禅師

曹洞宗では、日本で曹洞宗を興し永平寺を開いた道元を高祖、そのあと曹洞宗の普及に努め総持寺を開いた瑩山を太祖と称しています。そして永平寺と総持寺はともに大本山とし両者は同等の地位を持って、一派を維持しています。このため、曹洞宗は仏教の諸派の中では唯一、単一の宗教団体になっており、単一の宗教団体としては日本最大の規模になっています。

瑩山禅師は文永5年(1268)越前国で生まれました。家が熱心な曹洞宗の信者であったことから永平寺に上り、修行を重ねます。永仁2年加賀の大乗寺で「平常心是道」という公案を学んでいる時に大悟。これにより大乗寺の後継者に任命されました。

その後羽咋市に永光寺、更に門前町に総持寺を開いたほか各地に寺院を創建。この積極的な活動は更に弟子たちに受け継がれていって、結果的に曹洞宗は広く全国に普及することになります。とりわけ、瑩山禅師の二大弟子である明峯禅師と峨山禅師は、かな法語を作ったりして檀家を大事にする寺院運営を行い、この結果曹洞宗は禅宗の諸派の中で最も民衆に広まる宗派となったのです。

なお、総持寺は明治時代の火災のあと神奈川県横浜市に移転し、元の場所は現在総持寺祖院になっています。

臨済宗と曹洞宗の禅の違い

臨済宗と曹洞宗は元々ベースにした中国の宗派に距離があることから、色々異なるところがあります。

例えば形の上でいえば、坐禅をする時、臨済宗は壁を背にしますが、曹洞宗は壁に向かって座ります。坐禅をしている人が居眠りなどしてしまった場合、見回り役の人が棒で打ちますが、この棒を警策といいます。さてこの「警策」の読み方が実は臨済宗では「けいさく」、曹洞宗では「きょうさく」です。

しかし、こういった表面的なことは置いておいて、両派の最大の違いは、臨済宗では公案を非常に重視しているのに対して、曹洞宗では公案は使用しますが、ともかくもひたすら坐禅することを重視します。また臨済宗では段階的に悟りに近づくという考え方がベースになっているようですが、曹洞宗では悟りに段階は無いと考えています。

このあたりに両者の悟りに対する考え方の違いがあるようです。

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