全国66ヶ国お寺巡り99(43)能登

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金沢駅前から11時発の門前行きバスに乗ります。到着は1時過ぎ。ここから 歩いて10分ほどの所に今日2ヶ所目の目的地、総持寺があります。

曹洞宗は永平寺を開いた道元禅師が日本に伝え、その後この総持寺を開いた 瑩山禅師が普及させました。そこで曹洞宗では道元を高祖、瑩山を太祖とし て、この2師を重視しています。道元禅師が伝えなければ曹洞宗はなく瑩山 禅師が普及させなければ曹洞宗は恐らく消滅していたでしょうから、二人は どちらも欠くべからざる存在なのです。

瑩山禅師は越前の生まれ。祖母は道元禅師が京都で布教していた時代の弟子 です。祖母と同じく母も熱烈な信者であったため8歳で永平寺に入って得度。
修行の道に入って、27歳の時、加賀の大乗寺で「平常心是道」の公案につい て考えていた時に悟りの境地に達します。

その後阿波に城万寺、羽咋に永光寺を開いた後、正中元年(1324)この総持寺 を開きました。瑩山禅師の主な弟子に明峯禅師と峨山禅師があります。明峯 禅師の12人の弟子(明峯12門派)は大乗寺・永光寺を中心に全国に展開、峨山 禅師の25人の弟子(峨山25哲)も総持寺を中心に全国に展開。両者とも合議制 による寺院運営を規定。かな法語の作成、檀家との結びつきを重視し、教義 の一般化につとめます。これによって曹洞宗は民衆の間に普及し、教団の裾 野が広がっていきます。ここから曹洞宗は臨済宗とは完全に別の道を歩むこ とになる訳です。

さてそういう総持寺ですが、明治31年の火災の後、再建にひじょうに手間取 りました。その時、これを機会にいっそのこと布教に便利な東京近辺に移転 しようという意見が出てきます。そこで明治40年、一部の猛反発をさえぎっ て、総持寺は神奈川県横浜市に移転してしまいました。その時地元との約束 で必ずここも再建し、総持寺祖院とすることとされ、その約束は果たされ、 現在に至っている訳です。

その新しい横浜の総持寺(15万坪)ほどではありませんが、ここもかなり広い 境内を持っています。ひととおり見て回るだけで40分くらいはかかります。

拝観受付を通り、左手に経蔵を見ながら白字橋を渡り、壮麗な山門を入りま す。左手が僧堂。中央に法堂。右手に仏殿。仏殿の隣には香積台。奥に紫雲 台と待鳳館。僧堂側の奥には右から放光堂・伝燈院・慈雲閣。伝燈院と経堂 だけは火災以前からのものです。

もっと奥には不動堂や如来堂もありますが、今回はそこまでは行きません。
下の方の伽藍のみを拝観、お参りさせていただきます。


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