全国66ヶ国お寺巡り99(63) 飛騨

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翌4月3日(土)。JR京都駅から8:35の急行「たかやま」に乗ります。高山駅到 着は12:50。ここから丹生川村へ向かうのですが、さすがに今日は公共交通 機関を諦めました。

町方というところまでバスで行けるのですが、その先山道を4キロ歩かねば なりません。ということで今日は高山駅からタクシーを使います。(観光協 会に尋ねてみたのですが、バスで丹生川村まで来てからタクシーに乗る手も あるそうです)

高山駅からの距離は約10kmでしょうか。しかしここは冬は訪れるのはかなり 困難になりそうです。除雪はしないそうです(12月20日〜3月10日は寺宝館 も閉館する)

お寺の近くに「5本杉」があります。こういう名前が付いている場合、普通 は大きな杉が5本並んで立っているものなのですが、ここは少し違います。

1本の杉が地上6mほどのところで3本に分かれ、その先でまた2本分かれ て、1つの株から5本の幹が生えている、というひじょうに変わった杉です。

根周り11.5m, 高さ54m!! 樹齢は恐らく1000年くらい。国の天然記念物に指定 されています。1960年の伊勢湾台風で少し痛んだそうですが、現在はまた 元気になっているとのこと。ここにこの山の88ヶ所霊場の1番札所があり ます。ここは日本国内の霊的な最重要スポットのひとつですので、いつか又 来てゆっくり山を回ってみたいものです。

さて、タクシーは千光寺のかなり近くで止めてくれました。もちろん待って いてもらいます。とてもいい感じの十王門から入り、坂道をのぼって本堂の 方へ行きます。

袈裟山千光寺。高野山真言宗。こういう言い方をするより、位山を御神体と する、飛騨一宮の別当と言った方がよいでしょう。霊的に重要なスポットで あるというのは、そういう意味です。

このお寺を建てたのは「あの」真如上人です。

平城天皇の皇太子で薬子の乱に連座して皇太子の座を追われ、弘法大師空海 の弟子となって仏門に入ります。そして仏の教えを深く学び、空海の十大弟 子の一人と言われました。その後東大寺の大仏の修復を指揮し、最後は印度 留学を目指しましたが、ビルマ付近で虎に襲われて入寂したと伝えられます。

往時は山内に19院坊、飛騨一円に末寺20を数えましたが戦国時代に兵火で焼 失。これを飛騨に領した金森長近(法印)が再建させました。現在の本堂は 金森氏が1660年に建立したものです。

この寺の鐘は1546年に鋳造されたものですが、この寺を占領しようと武田の 兵が攻めて来た時、抵抗する僧たちにより、武田軍めがけて転がり落とされ ました。この鐘のおかげで、武田軍側には甚大な被害が発生したそうです。
その後高山城の鐘として使われていた時期もありますが、現在はまたお寺に 納まっています。

この寺を訪れる人の多くの目的はここに62体も納められている円空仏です。

円空は美濃の出身ですが、例のナタ彫りの仏像をたくさんこの寺にも残して くれました。中でも、金剛童子・護法善神・ビンズル様、そして県文化財の 指定を受けている両面宿儺像はインパクトがあります。

両面宿儺というのは、永久保貴一さんの「カルラ舞う」をお読みになった方 は強烈に覚えておられると思いますが、日本書紀仁徳天皇紀に出てくる、 この地方にいた英雄です。

日本書紀では宿儺は美濃の和珥(わに)臣の先祖・難波根子武振熊に倒され たとされますが、地元の伝承では降参しただけで、その後宿儺の子孫は代々
天皇家に位山の笏(いちい製)を献上することになったとされます。そして、 この両面宿儺が、この千光寺の最初の建立者であるというのです。

両面宿儺は伝説では2つの顔と4本の腕を持っていたといいます。ひじょう に敏捷であった為、こういう話になったのでしょう。きっと誰かがこう言っ たに違いありません「とにかく強くて。腕が4本あるかのようだったよ」と。

伝説では、両面宿儺は千光寺を立てた時、山の中で石棺を見つけます。開け てみると法華経と袈裟と千手観音像が入っていました。そこでその観音を 本尊とし、山号をここからとって袈裟山としたものです。

宿儺はこの寺の開山として両面観音とも呼ばれますが、飛州志には、宿儺は 救世観音の応化であるとまで書いてあります。永久保さんの着想などには このあたりも影響しているのでしょうか。


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