全国66ヶ国お寺巡り99(68) 岩代

←↑→
さて東武日光駅まで戻り、いったん下今市まで戻ってから16:21の会津若松行 の快速に乗ります。

この路線は鉄道ファンにとっては面白い路線です。下今市から新藤原までは 東武鉄道、そこから会津高原までは野岩鉄道、そこから西若松までは会津鉄 道で、そこから会津若松まではJR只見線になります。実に4つの会社の線 にまたがって列車が走っています。

ともかくも会津若松に着いたのは19:34分。今日はここで投宿です。

さて、福島県は岩代・磐城という2つの国に分かれています。東の太平洋側 が磐城(いわき,磐前,石城)で、西の内陸部が岩代(いわしろ,石背,磐代) です。ここは岩代の国。

翌4月6日(火)。駅前から会津坂下行きのバスに乗り、湯川村の阿賀川のそば 佐野で下車。ここから徒歩10分で今日最初の目的地、瑠璃光山勝常寺です。
真言宗のお寺。

大同年間に弘法大師・空海がこの地を訪れ、薬師如来を刻み、会津の5ヶ所 に安置して鎮護国家を祈念しようとしました。

ところが、途中で帰京せざるを得なくなったので、後事を徳一大師に頼み、 徳一大師があとをついで完成させたといいます。往時は百余の末寺を持つ 大寺院でしたが、天正年間に火事で本堂以外はことごとく焼失。

徳一大師は一説では藤原仲麻呂の子。若くして出家し興福寺の修円について 法相宗唯識を学びました。しかし多くの僧がぜいたくな暮らしをしているの に幻滅して東北へ修行の旅へ。

最澄が唐から帰朝し天台を伝えると南都の僧たちと論争が起きます。この時 南都の僧の代表に立ったのが徳一でした。これは俗に三一論争と呼ばれてお り、5年間も続きます。逆に日本天台宗の基本文書はこの時の徳一の批判に 答えるために書かれた文章がベースになったとも。

徳一は次に帰朝した空海も批判しますが、空海は批判には返事をせずに、逆 に布教の協力を要請しました。

現在このお寺は本堂薬師堂のみが室町時代の建物で、会津中央薬師堂と呼ば れています。ここに下記のような仏像がおられます。

薬師如来座像 137cm 日光菩薩立像 170cm 月光菩薩立像 173cm.

いづれもハルニレ材の一木彫り。貞観時代(清和天皇の御代.859-877平安前期) の作。いづれも重文。

聖観音立像   ケヤキ一木彫り 164cm 十一面観音立像 カツラ一木彫り 219cm 四天王立像   ケヤキ一木彫り 持国天130cm 増長天130cm 広目天149cm 多聞天129cm 地蔵菩薩立像  ケヤキ一木彫り 184.5cm 地蔵菩薩立像  ケヤキ一木彫り 168cm 虚空蔵菩薩立像 ハルニレ一木彫り 145cm

以上いづれも貞観時代の作で重文。これだけの数の貞観仏が集まっている寺 は奈良や京都にもそうありません。むろん東国ではここ一ヶ所のみです。


←↑→



(C)copyright ffortune.net 1995-2016 produced by ffortune and Lumi.
お問い合わせはこちらから