予約していたホテルに入ってゆっくり休みます。
翌4月8日(木)。今日はお釈迦様の誕生日です。この旅も多分明日まで。
盛岡駅前から本町まわり加賀野いきのバスに乗り医大前で下車します。徒歩 7分。ここは衆宝山光台寺。浄土宗のお寺です。天正元年(1573)良心故関和尚 の開山。
のち、南部27代当主で盛岡藩祖とされる南部利直公の奥方・於武(おむ)姫が 寛文3年(1663)亡くなり、この寺に葬られまたた。
於武姫は蒲生家の出身ですが、蒲生家の先祖は俵藤太(藤原秀郷)。俵藤太は 歴史上は平将門を倒した武将として有名ですが、また大ムカデを退治したと いう伝説も持っています。そして於武姫は南部家にお輿入れする時、俵藤太 がムカデを退治した時の矢というものを持ってきていました。
さて、姫の墓の回りには濠を巡らせ、それに橋をかけることになりました。
ところが橋を造っていると何度も一夜の内に橋が壊されるという事件があり ました。人々は「昔俵藤太に倒されたムカデの怨霊が出て橋を壊しているに ちがいない」と噂。
事態を重く見た藩主・南部28代目重直公は、早朝から現場に多数の剛の者を 配備して警戒に当たらせる中、これまた多数の工夫を出して夕方までに一気 に橋を完成させました。
その後橋が壊されることはありませんでしたが、その後も夜な夜なムカデの 化け物が辺りを徘徊しているという噂は消えず、いつしかこの墓はムカデ姫 の墓と呼ばれるようになったしまいました。
そこでこの寺の住職が自ら一体の仏像を彫り、姫の墓前に安置して十一日間
の供養をしたところ、その後は怨霊も出ることがなくなったといいます。
南部家でも寺に多額の寄進をし、立派な伽藍を建てて供養をしました。
寺はその後何度か火災に遭っており、現在の建物は安政年間の再建です。
本尊は阿弥陀如来立像。檜の寄木造り。97.5cm。天文24年(1555)の銘札があ
りますが、もう少し古いかも知れないとのこと。上品下生の印。市の重文。
脇侍の観音・勢至は来迎を表すように前屈みになっています。