七福神

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七福神
七福神:恵比須(えびす)・大黒(だいこく)・弁天(べんてん)・毘沙門(びしゃもん)・布袋(ほてい)・福禄寿(ふくろくじゅ)・寿老人(じゅろうじん)

七福神がいつ頃から信仰されるようになったのかは不明確ですが、一説によれば天海上人が徳川家康に「上様は七つの徳をお備えですね。寿老人の長寿、大黒の富財、福禄寿の人望、恵比寿の正直、弁財天の愛敬、毘沙門の威光、布袋の大量。この七神には七難即滅・七福即生の功徳があります。」と言ったのに家康が喜び、狩野法眼深幽に七福神の絵を描かせて尊崇、これを各大名が見習ったために全国に広まった、とされます。

天海上人の言ったという「七難即滅・七福即生」は仁王般若波羅密経にある言葉ですが、実際には七福神信仰は家康の時代よりやや早い頃から起こっていたようです。その天海上人の時代、江戸初期に設定されていた七福神は不忍の弁財天、谷中感応寺の毘沙門、同所長安寺の寿老人、日暮里青雲寺の恵比寿・大黒・布袋、田端西行庵の福禄寿という組み合せだったようです。

七福神は従ってこの頃には既に現在の組合せに落ちついていたようですが、そうなる以前は、福禄寿の代りに吉祥天を入れた組合せ、あるいは寿老人の代りに猩々を入れたものなどがあったようです。そもそも福禄寿と寿老人というのは同体異名なのでそれが2つ入っているというのはおかしなことではあります。元々同じ神なので絵に描かれる時も混乱があるようで、福禄寿の方を長い頭に描いている場合が多いようにも思いますが、両方長頭になっている場合もあるようです。鹿を連れていたら寿老人、鶴を連れていたら福禄寿だそうです。

この寿老人=福禄寿はどちらも南極老人星(カノープス)のことです。インドではアガスティアと呼ぶようですが、この星は南の地平線ギリギリに見えるので、この星を見ることができたら長生きするという伝説があり、北斗信仰とも関わっているようです。中国で生まれた信仰ですが、中国では南極老人星を天の大尉といい、また寿老人は1060年頃に実在した道士であるという説もあるようです。更に福禄寿については、福星・禄星・寿星という3つの星の信仰が合体したものであるという説もあります。

布袋も中国の神ですが、これは七福神の中で通常唯一実在した人物であるとされます。一説によれば中国五代の頃、後梁の明州・奉化県にいた禅僧で契此という和尚であったとされますが、他にもモデルに擬される人物は数人いたそうです。福徳の神・弥勒菩薩の化身と崇められたとのことです。

次に弁財天と毘沙門天ですが、これは仏教の所でも触れたようにインド起源の神です。

弁財天はインドではサラスヴァティで、ブラフマー(梵天)の娘であり妻でもある川の神ですが、日本での信仰では吉祥天との混同があり、同じ水神として市杵島姫命との習合があります。また、蛇をお使いにすることから宇迦御魂神との習合もあります。学問と技芸の神とされましたが、後に富財の神ともみなされるようになりました。(この為「弁才天」を「弁財天」と書くようになった)七福神の絵では琵琶を持った姿に描かれます。元々インドの尊像でもヴィーナを持っています。

毘沙門天は別名多聞天。四天王及び十二天の一で、北方を司り、須弥山の北を護っています。須弥山第4層の水精宮に住むとされます。元々光明神・幸福の神ですが、後には夜叉・羅刹を支配して国土を守護する武神とされました。妻の吉祥天・子供の五太子(最勝・独健・那咤・常見・善賦師)と八大薬叉(宝賢・満賢・散支・婆多祁哩・醯摩縛迦・毘灑迦・阿咤縛迦・半遮羅)を従えています。

大黒はインド起源の大黒天(マハーカーラ。シヴァの分霊)に日本の大国主命の信仰が合体したものです。結果この神は両方の要素を引き継いでおり、古事記に見られる袋をかついだ大国様の要素とシヴァ神に見られる性の要素を持った豊饒の神・農耕神と考えられています。近年の絵では右側に袋をかつぎ、左手に打出小槌(うちでのこづち)を持っています。打出小槌の打面には如意宝珠の模様が入っています。

そして恵比寿ですが、基本的な神格としては「えびす」という言葉のとおり、外界から来た<稀人(まれびと)>のことであったと思われますが、いざなぎ・いざなみの第一子である「ひるこ」が西宮に流れついて成長した神であるという伝説を元に「蛭子」と書いて「えびす」とも読みます。又この神は大国主神の子供の事代主神であるという説もあり、また海彦山彦伝説の山幸彦であるという説もあります。稀人であることから少彦名神だという説もあります。鯛を持った姿で描かれますので、漁業の神としての性質もあると考えられます。「えびす」という音が「海老」を連想させるという面もあるのでしょう。

一般にこの恵比須と大黒を特に取り上げて「恵比須・大黒」として家庭内などてよく祭っています。

恵比寿が蛭子であれば高天原系の神ということになり、大黒−大国主神は出雲系の神ですから、この二神を一緒に祀ることは、日本の神の二大系統を合わせて祀ることになります。恵比寿が事代主神であれば、親子神を祀っていることになります。また少彦名神であれば、大国主神と二人で一緒に国中を歩き回り日本を作った神ということになります。また大国主神が農業神・恵比寿が漁業神とすると、二大産業の守り神で合わせて豊饒の神ということになります。また、えびすが外来神で大国主が日本の国土開発の神とすれば、日本に元からいた人々と中国・朝鮮などから渡ってきた人との神を合わせて祭り融合和睦を願っていることになります。

このあたりは、おそらく色々な人が色々な意見を持っているのではないかと思います。

七福神は江戸時代頃からしばしば宝船に乗った情景を描かれるようになりました。正月にこの宝船に乗った七福神の絵に「長き世のとをの眠りのみな目覚め波乗り船の音のよきかな」という回文(上から読んでも下から読んでも同じ)を添えて枕の下に入れると、よい夢が見られるという言い伝えが出来上がっています。

七福神は非常におめでたい神ということで、七福神を祭る神社・寺を順にお参りしていく「七福神巡り」が全国に恐らく百個ほどあります。この時、自分の家に一番近い所から反時計回りに見て2番目の所から順に回っていくとよいとされます。つまり一番近い所で打ち上げにする訳です。

なお、最初に紹介したセットは今は次のように変っているようです。

不忍池中島の弁財天、谷中天王寺の毘沙門天、谷中初音町長安寺の寿老人、日暮里青雲寺の恵比寿、日暮里経王寺の大国天、修性院の布袋、田端東覚寺の福禄寿



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