アマルナ革命

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アメンホテップ4世(Amenophis IV,在位1379-1362)は宗教勢力の政治への関与 を嫌って、それまでの神を全て否定。新しい首都アケトアテンを建設し、唯一神 アトン・ラーの信仰を強制します。

そして自らもアトン神の使いであるとして、イクナトン(Akhenaten)と名乗り ました。この時代は文化的に高いものがあり、アケトアテンの別名アマルナ から取って「アマルナ時代」と一般に呼ばれています。

                        アイ                          ‖ アメンホテプ3世―+アメン―――+―――アンケセナーメン          |ホテプ4世 +メリタームン ‖          |       ‖      ‖          +――――スメンカーラ    ‖          +―――――――――ツタンカーメン

 ※Akhenaten = Amenophis IV, Ankhkheprure = Smenkhkare   Ankhesenpaten = Ankhesnamun

 ※アンケセナーメンは3度結婚している。最初は父のアメンホテプ4世、   2度目が叔父のツタンカーメンで3度目が大臣のアイ。エジプトは女系   社会なので、王の娘と結婚すれば正当な後継者とみなされる。

 ※アイは結局在位4年でこの世を去り、それで第18王朝は事実上終了。
  一応第18王朝の最後の王とされるホルエムヘブの系譜はよく分からず   第19王朝に属するのではないかとの説もある。結果的にはアマルナ   革命の失敗により第18王朝は終了したのかも知れない。

当時エジプトでは1500年前に上下エジプトが統一されて以来、各町ごとに 別々の信仰が行われていました。全土的に信仰されていたのはイシス・ホルス・ トト・ハトホルくらいで、それも町毎に人々が描いて神の姿は異なっていました。
アメンホテップ4世はこの現状を改革し、エジプト全土でひとつの神を信仰する ようにし、エジプト全体の精神的な統一を実現しようとしたのです。

そのため彼は全ての場所を等しく照らす太陽を信仰すべきだと考え、これに アトン(Aten)の名前を付けたのです。そしてその神像は太陽が地上にたくさん の光線を降り注ぐ姿でした。

しかしその思想はなかなか国民の間には浸透しません。そこで彼は改革推進派 の司祭の助言により、アトン神の信仰に基づく新都Akhenaten(アトンの地平線) を建設し始めます。なお、彼は以前はアトン神信仰を徹底させるため、それま での既存の神を祭る神殿を徹底的に破壊させた、などといったことが言われた 時期もあるのですが、そこまで狂信的ではなかったようです。彼はむしろここ を拠点として、少しずつ信仰を広げていこうとしたのかも知れません。

この都市は結局アメンホテプ4世の代1代のみで終わってしまうのですが、この 町の近くに後にBeni Amarna一族の町El-TillができたことからTell El-Amarna と呼ぶ呼び方が定着し、そこでこの時期もアマルナ時代と呼ばれるようになり ました。

アメンホテプ4世の統治期間の最後の数年間は次の王スメンカーラとの共同統治 であったとも言われています。スメンカーラ(Smenkhkare)はアメンホテプ4世の 長女Merytamunを妃としています。スメンカーラ自身アメンホテプ4世の弟であろ うと考えられています。

スメンカーラはアメンホテプ4世が亡くなった翌年に亡くなっています。色々 変事があったのではないかとの説もあるようです。

スメンカーラはBiban el-Molukの王墓に眠っていました。この王墓は最初被葬者 が女性と考えられたことから、アメンホテプ4世の母Tiyeの墓と考えられていた のですが、その後の調査で埋葬者が若い男性であることが分かり、これがスメン カーラと比定されています。最近テレビ番組で「女装のファラオ」として紹介さ れていましたが、彼が生前女装していたわけではなく、何かの理由で女性仕様の 墓に葬られたということのようです。

アメンホテプ4世に関しては、その遺体は細かく刻まれ、犬に食べさせられたと 言われています。

スメンカーラの次の王がツタンカーメン。彼の系譜もよく分からないのですが、 アメンホテプ3世の子供、つまり4世やスメンカーラの弟との説が一応定説とな っています。アメンホテプ4世の三女であり、幼ななじみであったとも言われる アンケセナーメン(Ankhesnamun)を妃にして、正当な王となりました。

(アメンホテプ4世と似ていることから4世の子ではないかという説もあったの ですが、4世には王女は6人いたものの、王子はいなかったようです)

ただツタンーメンは即位した時10歳くらいであり、政治の実権は大臣アイが 持っていたのではないかと思われます。新政権はアケトアテンを破壊して首都を テーベに戻し、アケトアテンの場所には二度と町ができることはありませんでし た。そしてアトン神の信仰も否定され、元の状態に戻りました。宗教改革は完全 に失敗したのです。

そして9年後ツタンカーメンがわずか18歳で亡くなりますと、アイが王妃の アンケセナーメンと結婚して王となりますが、その時代もわずか4年で終ります。

アマルナ時代の文化には独特の特徴があります。一般にはアメンホテプ3世治世 の後半からスメンカーラの時代までを「アマルナ文化」と呼んでいます。

この時代、美術の面では写実的な技法が発達し、卵形の後頭部を持つ独特の洋式 の像が作られています。


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