飴買い幽霊

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飴買い幽霊の話

飴買い幽霊の話は全国に分布しているようです。その概要は次の通りです。

ある晩、飴屋の戸を叩く者があった。主人が出てみると白い服を着た女が立っていて、飴を1文だけ売ってくれという。飴屋はもう店を閉めたあとだったが快く飴を売ってやった。

ところが翌日の夜もまた女はやってきて1文だけ飴を買っていった。

女の来訪は6日に及んだが、とうとう7日目、女はまたやってきたが「もう一文も銭がございませんが、飴をめぐんでくださいませんでしょうか」という。

飴屋の主人は快諾して飴を与えたが、さすがに怪しんでこっそりと女の後をつけてみた。すると女は寺の墓地の中で消えた。

どこへ消えたのだろうと思ってキョロキョロしていると、近くで赤ん坊の鳴き声が聞こえた。どうも地中からしているようである。その声がしているあたりに真新しい卒塔婆があった。飴屋の主人は寺の者を起こして事を告げる。そしてみんなでその墓を掘ってみると、女の死体のそばで赤ん坊が泣いていた。

恐らくは死んだ後で、墓の中で子供を出産したものの、その子に乳を与えることができず、代わりに飴でも与えようと、三途の川の渡し賃の六文銭で飴を買いに来たのであろう。そして7日目にはその六文銭がなくなってしまったので、めぐんでほしいと言ったのであろう。

人々はそう判断して女を憐れみ、改めて丁重に弔って、赤ん坊は然るべき家で育ててもらうことになった。

各地の飴買い幽霊

この話は落語では京都東山の高台寺になっていて、最後に女の幽霊が「高台寺(子を大事)」と言うという落ちにしています。

実際現在東山の鳥辺野、六道珍皇寺の向かいには「幽霊子育飴」を売っている飴屋さんが現存します。この飴屋さんで売っている飴に添えられた由来によればこの子供は寺で育てられて立派な僧になったとされ、その僧が亡くなったのが寛文6年(1666年)3月15日。68歳であったとのことなので、この事件があったのは逆算して慶長4年(1599)ということになります。

京都では船井郡にも子育て幽霊の話が伝わっていますが、こちらではその子供を産んだ女は両親に殺されたことになっています。また六文銭が尽きてからは葉っぱを1文銭に見せかけて飴を買っていたとなっています。

静岡県の交通の難所・佐夜の中山でも「子育て飴」が売られています。ここでは女はこの峠で盗賊に襲われて殺されたことになっています。その女の墓標になっていた石は現在この地の家康ゆかりの寺・久延寺に納められており「夜泣き石」と呼ばれています。

九州に行って長崎では寺町の光源寺(1631開基)になっています。ここでは毎年旧暦の7月16日に木彫りの幽霊像が開帳されて供養が営まれます。安産の守り神とされているようです。この長崎の物語では女は数日後にお礼に訪れます。そしてその時飴屋の主人が何気なく「最近水不足で」というと、女は「ここを掘ってください」といいます。翌日女が指示した場所を掘るとこんこんと泉が湧きだし、その後そこを「幽霊井戸」と呼んだとのことです。なお、光源寺の幽霊像には延享2年(1745)の箱書きがあります。

この他、私が見つけた範囲でこの伝説の地を挙げておきます。

なお、「ゲゲゲの鬼太郎」の鬼太郎(墓場の鬼太郎)が、元々、この飴買い幽霊で助けられた子供という設定であったことを記憶しておられる方もあるかと思います。

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