振袖火事

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振袖火事

 

ほんとにあった怖い話

承応3年(1654)3月のことでした。

浅草諏訪町の麹商・大増屋十右衛門の娘・お菊は上野の山で花見をしていて、どこかの寺の小姓と思われる若い男に一目惚れします。

お菊はその小姓がどこの者なのか探しますが、どうしても探し当てることができませんでした。そこでせめてもの慰みにと、その小姓が着ていたのと同じ模様の振袖を作らせ、それを愛用していました。

そのお菊が翌年ふとしたことで亡くなってしまいます。恋わずらいにより食が細ってしまったため、とも言われています。その葬儀は本郷丸山の本妙寺で明暦元年1月16日に執り行われました。両親は憐れんで、娘の棺にその振袖を掛けてやり、野辺の送りを済ませました。

さて、当時こういう棺に掛けられた服とか仏が身につけているカンザシなどは、たいていの場合、棺が持ち込まれた寺の湯灌場で働く者たちがもらっていいことになっていました。この振袖もそういう男たちの手に渡り、いいものに思えたので売り飛ばされ、回り回って別の娘の物になりました。

これを入手したのは本郷元町の鞠屋吉兵衛の娘・お花でした。お花もこの振袖を気に入ってよく着ていたのですが、翌明暦2年の正月にぽっくりと死んでしまいます。両親は突然のことに悲しみますが、ともかくも盛大に葬儀を行ない、その振袖はやはり棺に掛けてやりました。

寺の湯灌場の男たちも昨年売り飛ばした振袖が戻ってきたのでびっくりしましたが、またそれを売り飛ばし、また別の娘の手に渡りました。

三番目にこの振袖を手に入れたのは麻布の質屋・伊勢屋五兵衛の娘・梅乃です。

梅乃もこの振袖を気に入り、よく着ていましたが、またもや翌年の正月、突然死んでしまいます。

そこでまたまた両親はこの本妙寺で葬儀を執り行い、棺に振袖を掛けてやりました。

ところが、そこにちょうど娘の三周忌のために寺を訪れた大増屋と、一周忌のために訪れた鞠屋が鉢合わせしました。

二人は自分の娘が愛用していた振袖が目の前にあるのに仰天し、3度までその振袖を着た娘が死んだということに、なにかのいわくを感じます。そこで二人は伊勢屋ともども本妙寺の和尚に相談。寺でもこれは捨ててはおけぬと考え、この振袖を供養してお焚き上げすることにしました。

時は明暦3年(1657)1月18日午前十時頃のことです。

大惨事の発生

住職は読経しながら火中に振袖を投じます。

するとそのとき、突然強い風が吹き、その振袖は火がついたまま空に舞い上がってしまいました。

振袖は本堂の屋根に落ち、屋根に火が燃え移ります。

おりしも江戸の町はその前80日も雨が降っていませんでした。

この屋根に燃え移った火はそのまま寺を焼き尽くしたのみならず、近隣の屋敷にも延焼しました。

火は消し止めるまもなく次々と燃え移ります。湯島から神田明神、駿河台の武家屋敷、八丁堀から霊岸寺、鉄砲州から石川島と燃え広がり、日本橋・伝馬町まで焼き尽くしました。

火は翌日には北の丸の大名屋敷を焼いて、江戸城・本丸天守閣まで焼失することになります。(天守閣はその後二度と再建されなかった。民間の町並み再興を優先したためであろう)

この火事で亡くなった人は10万人以上。

世に明暦の大火と呼ばれていますが、この火事の発端から「振袖火事」の異名があります。

私はこの話に関わる度に、背筋がゾッとします。

合掌。

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