耳無芳一

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小泉八雲の「怪談」

子供の頃、小泉八雲の「怪談」を読んで、震えたり悪夢にうなされた方は多いのではないかと思います。小泉八雲(1850-1904)は元の名前を Lafcadio Hearn といい、ギリシャ生まれのイギリス人でした。1890年にジャーナリストして日本に来て、その後小泉節子と結婚、日本に帰化し小泉八雲を名乗ります。

その後、節子の郷里の松江で学校の先生になり、のち、五校・東大などでも教鞭をとりました。その傍ら日本の文化について深く研究、「心」「神国日本」「怪談」「知られざる日本の面影」などを発表しています。

小泉八雲が発表した怪談物語の中には次のようなものがあります。

その中からここでは「耳無芳一」を取り上げてみます。

バックボーンは平家物語

耳無芳一の物語のバックボーンには「平家物語」の世界があります。

平家物語は平安時代の末期に起きた平家と源氏の争いを描いたもので、平家の代表である平清盛の生涯と彼の死後の平家の滅亡が静かに描かれています。

保元の乱・平治の乱で天下を取った平家も、平清盛の死後は中核になれる人物に恵まれず、一方平家の一部の横暴な者たちの行動に反発していた人々はやがて、平治の乱でほぼ絶滅状態になっていた源氏の残党たちに、平家打倒の号令を出します。

ここに、源頼朝と義経の兄弟や源(木曽)義仲らが立ち上がり、思慮深く先を見越す力のある頼朝、戦術の天才・義経らの活躍で、平家は都を追われ、一ノ谷、屋島、と敗戦を続け、最後は関門海峡に近い壇ノ浦の海戦で全滅してしまいます。

この時、平清盛の孫であった幼い安徳天皇も平家一門と一緒に海に沈むのです。

平家物語はこの一連の出来事を語ったもので、琵琶法師たちによって語られ、人々の涙を誘っていました。

耳無芳一

芳一は琵琶法師で、平家物語を語るのが非常にうまく評判であった。

ある時、芳一の前に一人の武者がやってきて、芳一の琵琶を聞かせて欲しいと頼んだ。芳一は依頼にこたえ、武者に連れられて立派なお屋敷へ行き、琵琶を鳴らして「平家物語」を語った。そこは非常に身分の高い人のお屋敷のようであった。

武者の依頼は何日も続き、毎晩のように芳一はお屋敷に行った。ところがある日、芳一の知り合いの者が、墓地で、多くの人魂に囲まれて「平家物語」を語っている芳一の姿を目撃した。芳一の琵琶を聞いていたのは実は平家の人々の亡霊だったのであった。

芳一の師匠から相談を受けたお寺の和尚は、このままでは芳一は取り殺されてしまうであろうと判断。芳一の身を守るために芳一の体中にお経を書くことを決めた。ところがその日和尚はどうしてもはずせない用事があったため、弟子にその作業を任せた。

その夜、また芳一のもとに武者がやってきた。ところが芳一の全身にお経が書かれているため、武者には芳一の姿が見えない。武者も困っているようであったが芳一は沈黙を守った。

ところがふと武者の目に2つの耳が見えた。実はお経を書くように言われたお寺の若い僧がうっかり耳にだけ経文を書き忘れていたのであった。武者はこのままでは主君に申し訳がたたないから、この耳だけでも連れていこうと言い、その耳を力ませに引っ張った。そのため芳一の耳は両方とも、ちぎれてしまった。そして武者はその2つの耳を持って満足そうに引き上げていった。

武者が来ることは2度となかった。しかし芳一はこのことで耳を失い、耳無芳一と呼ばれるようになった。

この話のルーツと展開

耳無芳一の物語で、全身にお経を書くというモチーフはその後いろいろな小説・マンガ・映画などで流用されています。最近のグリーナウェイの「枕草子」などもここからの発想でしょうか?

小泉八雲は江戸時代の怪談集「新著聞書」などを愛読していたようですが、この芳一の物語は一夕散人の「臥遊奇談」(天明2年,1782)の中の一編が元ネタになっているようです。

壇ノ浦

壇ノ浦では安徳天皇は祖母であり、平清盛の妻である二位尼に抱かれて入水しました。安徳天皇の母である建礼門院は衣服が矢に引っかかって水に入れずにいたところを救出され、京都・大原で長い余生を送りました。

今でも壇ノ浦近辺で漁をする漁師は舟の中で正座をして作業をするという習慣が残っているそうです。それはその下に天皇が沈んでいるからです。

安徳天皇の墓所は明治以降赤間神宮となっています。

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