累ヶ淵

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累ヶ淵

 

死霊解脱物語

三遊亭円朝(1839-1900)の落語で有名な「真景累ヶ淵」のベースとなったのは、元をたどれば元禄3年(1690)に出版された「死霊解脱物語聞書」(上下の2冊)です。物語の中心人物である累(るい)さんは戒名・妙林信女。命日は正保4年(1647)8月11日と記録されています。下総国・岡田郡羽生村(現・茨城県水海道市羽生町)でのできごとです。

助の死と累の誕生

羽生村の堀越与右衛門という百姓が、すぎという女性と結婚しましたが、すぎは連れ子の助(すけ)を連れていました。しかし与右衛門は助をあまり可愛がらず、疲れたすぎは助を川で殺してしまいます。

やがてすぎは与右衛門の子供・累(るい)を産みます。しかし成長するにつれ累は助に似てきて、その面影にすぎは怯えます。そしてすぎは与右衛門に実は助を殺したことを告白するのでした。

やがて、与右衛門とすぎは病でなくなり、累が一人残されます。

2代目与右衛門

ある時旅の男が行き倒れになっていたのをたまたま累が助けます。累の看病で命拾いした男はせめてもの恩返しにと、累の農作業を手伝いますが、累が思いもかけず大きな農地を持っていることを知ると、男は欲が出て、この累と一緒になれば安定した暮らしが出来ると考え、そのまま累の家に居座って、やがて入り婿に収まりました。

この男は元は谷五郎と言いましたが、入り婿になる際に累の父の名である与右衛門を襲名します。

累の死と与右衛門の妻たち

結婚してしばらくすると与右衛門は次第に累がわずらわしくなってきていました。そして結婚して2年目のある日、とうとう与右衛門は川で累を殺してしまいます。その場所はくしくも、すぎが助を殺したのと同じ場所でした。

この物語は累が中心人物であることと、助・累の姉妹の殺害場所が「かさなった」ことから、「かさねがふち」と呼ばれています。

やがて与右衛門は別の女と再婚しますが、再婚した妻はなぜか早死にしたり、早々に離縁したりしました。5人の女が死亡或いは逃げ出し、6人目の妻・おきよだけが、お菊という娘を産みますが、そのおきよもお菊が13の年に亡くなってしまいました。

累の怨霊現る

そして、おきよが死んだ翌年、寛文12年(1672)の正月、突如としてお菊に累の怨霊が憑依し、自分が与右衛門に殺されたことを暴露したのです。

この怨霊はなかなか去らなかったため、村の名主は弘経寺の住職・祐天和尚を呼んで供養をしてもらいました。

助の怨霊現る

その怨霊騒ぎが収まったと思ったら今度は、お菊に助の怨霊が憑依し、61年前に自分は母に殺されたということを告げます。またまた村では祐天和尚を呼んで供養をしてもらいました。この2人を祀る石仏が法蔵寺に作られました。

こうして悲しい運命を生きた助・累の姉妹は村人の供養の思いと祐天和尚の尽力のお陰で成仏することができました。現在法蔵寺には祐天和尚の像とともに、菊・累・助の像が祀られています。

累ヶ淵物語の展開

この累ヶ淵の物語は上記にも述べたように、「死霊解脱物語聞書」として元禄3年(1690)に出版されましたが、その後享保16年(1731)には「大角力藤戸源氏」(おおずもうふじとげんじ)として歌舞伎でとりあげらました。同年7月江戸市村座初演です。このときはこれが実話であることを示すために「死霊解脱物語」を抽選で観客に配ったりしました。

その後、多くの作品がこれを題材にして作られますが、安政6年(1859)三遊亭円朝が「累ヶ淵後日談」を作成して上演。これを更に明治2年改題して「真景累ヶ淵」としたのが現在伝えられている怪談噺です。

円朝の累ヶ淵

円朝の累ヶ淵は97席にものぼる長大なものですが、基本的には上記累の物語の前に、累と結婚する与右衛門(円朝では新吉)の物語が展開されています。

深見新左衛門から新吉まで

旗本・深見新左衛門は皆川宗悦を殺してしまいますが、その1年後新左衛門は宗悦の亡霊と見誤って自分の妻を殺してしまいました。また、深見の長男・新五郎は宗悦の次女・お園を誤って殺してしまい打ち首になります。

さて、深見の次男新吉もまた宗悦の長女・豊志賀と一緒に暮らしていました。豊志賀は豊本の師匠をしていました。しかし新吉は豊志賀のところに稽古に来ていた娘・お久とも親しくなり、豊志賀はこれに嫉妬します。そんな時、豊志賀の顔に出来物ができて顔がひどく腫れ上がり、伏せってしまいました。それを気味悪く思った新吉が豊志賀を避けてお久と会っていると、何だかお久の顔が豊志賀の顔に見えて来ました。

豊志賀の死

そこでそのお久のもとからも逃げ出した新吉は叔父の家に転がり込みますが、叔父に「師匠(豊志賀)が奥で待っているよ」と言われびっくりします。病気の身をおしてこんな所まで来るなんて、と驚いた新吉ですが、とにかくやはり帰って寝ていた方がいいということで、豊志賀を駕籠に乗せて帰すことにします。

しかし、駕籠掻きが豊志賀の家について開けてみると、そこには誰も乗っていませんでした。

(この話がタクシー幽霊の話の元祖だという説があります)

そして、その頃新吉のもとに、豊志賀が家で包丁で喉を突いて死んでしまったという知らせが届きます。すると、さっきまでいた豊志賀は何なんだ?新吉はぞっとしました。

お久の死、そして累

結局、怖くなった新吉はお久をつれて、駆け落ちします。その途中、鎌で怪我したお久を介抱していた新吉は、またもやお久の顔が豊志賀に見えてきて、その鎌でお久を殺してしまいました。

呆然とする新吉はふらふらと下総は羽生村までたどりつき、そこで累と出会いました。二人は愛し合うようになり、やがて結婚。そして悲劇はクライマックスへと続いていきます。

累ヶ淵の祟り?

累ヶ淵もまた、四谷怪談と同様、祟ることで有名です。四谷怪談は基本的に右目・右手・右足に来るそうですが、累ヶ淵は左目・左手・左足に来るそうです。これらの話に関わる方は、気をしっかりもつとともに、怪我などには十分ご注意ください。

歌舞伎で累ヶ淵を演じる時は、東京・祐天寺の累塚にお参りするそうです。

この話も今回このシリーズを書くのに際し、できれば避けたい感じもしたのですが、やはり四谷怪談同様、避けては通れない話でもあると考え、できるだけ真摯な気持ちで書かせて頂きました。

四谷怪談の方は祟り?の背景についても言及したのですが、累ヶ淵の方は、どうもそのような軽率な推論を許さない厳しさがあるように思われます。そこで、この件についてはこれ以上の言及を避けます。ただ、実際に累さんや助さん自体が祟っている訳ではないように思います。あれだけひどい目に遭って、さらに祟りの元のように言われては可哀想です。

累・助、及び関連する人々の冥福と来世での幸福を祈ります。

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