吉備津の釜

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桃太郎伝説の地

雨月物語の「吉備津の釜」の物語の背景には、岡山市の吉備津神社に伝わる鳴釜神事があります。


崇神天皇の時代、この地に温羅(うら)という鬼がいて城を構えて傍若無人な振る舞いをしていたため、この地の管理者である吉備津彦という人が軍を率いてこれを討った。しかし温羅の首は討たれても大声を発してやまず、地中に埋めてもなお吼え続けた。

そして13年たったある夜温羅は吉備津彦の夢の中に現れた。そして「自分の首の埋まっている所の上に釜を置き、わが妻の阿曾郷の阿曾姫に、私に供える食事を炊かせてくれ。そうしたら、幸いある時は釜を豊かに鳴らし、災いある時は釜を荒々しく鳴らしてあなたたちに吉凶を告げてやる」と告げた。吉備津彦がそれを守ると以後首はおとなしくなった。


この釜は現在吉備津神社の御釜殿にあり、毎年正月にはこの釜を炊いてその年の吉凶を占う神事が執り行われています。

この吉備津彦による温羅退治が、桃太郎伝説のルーツであると言われています。

この温羅は吉備津神社の本殿外陣に「丑寅御前(うしとらみさき)」としても祭られています。この丑寅御前については、梁塵秘抄に「一品聖霊吉備津宮、新宮本宮内宮、隼人崎、北や南の神客人、丑寅御前は恐ろしや」とも書かれています。しかし一説では本当は吉備津神社自体が温羅を封じ祀ったものではないかという説もあります。この神社の本殿は丑寅の方角を向いています。

鳴らなかった釜

昔吉備の国の賀夜郡庭妹(かやのこおり・にいせ)の里に井沢庄太夫という者がいた。祖父は播磨の赤松に仕えていたが、嘉吉の乱(1441)で赤松満祐が将軍を暗殺して討たれるという事件の後、一族ここに移り住んだものである。この庄太夫には正太郎という息子がいたが、酒と女に溺れてどうにもならない性格であった。かくなる上は、しっかりした女性と結婚させれば少しは落ち着くのではないかと考えて探していた所、吉備津の神主・香央造酒(かんざねかさだみき)の娘、磯良(いそら)が非常に良く出来た娘でよいということになった。そこで庄太夫は然るべきしっかりした人を仲人に立てて、結婚を申し込む。

香央の家でも娘はしっかり者ではあるがもう年も17にもなり、そろそろ嫁にやらねばと思っていた頃であったので、乗り気になり話を進めた。そしてある程度話が進んだ時、この婚儀に関して一応神意を伺っておこうということで、祝部を集めて鳴釜神事を行った。この神社に伝わる釜を炊き、その時の音で吉凶を占うものである。

ところが、この神事をすると、なんと釜が全く鳴らなかったのである。

意外なことに造酒も困ってしまった。しかし造酒の妻は「鳴らなかったのはきっと祝部たちがきちんと身を清めていなかったからに違いない。婚儀に問題はない」と主張したため、結局そのまま話は進んで目出度く祝儀が執り行われた。

やはり直らない習性

磯良と結婚して、しばらくは正太郎もおとなしくしていた。磯良はほんとによい娘で、正太郎の世話をよくし、正太郎の両親との仲も良好で、正太郎もそれに答えて磯良を大事にしていた。

しかし正太郎の生来の遊び癖はなかなか直るものではない。その内、鞆の津の袖という女と恋仲になり、やがてほとんど家に帰って来ないようになった。しかしそれでも磯良は夫が帰ってくると優しく接し、夫がしばらく戻ってこない時には袖の家に行って必要なものを届けたりまでしていた。それを見た庄太夫は磯良があわれで、彼女に申し訳ないと謝り、正太郎にも厳しく説教した。

すると正太郎は磯良のところに戻ってきて、詫びてこう言った。「ほんとに悪いことをした。許して欲しい。ただ、あの女は全く身寄りがなく、私に捨てられたら娼婦にでもなるしかない。それで私はあの女を京都に連れていって、どこかしっかりした家に奉公させようと思う。それで済まないが旅費に少しお金を貸してくれないだろうか」

磯良は夫が反省している様子に喜び、その程度のことならと自分の着物や持ち物などを金に替え実家からもお金を借りて正太郎に渡した。

しかし、正太郎は二度と帰って来なかった。なんのことはない。正太郎は最初から袖と駆け落ちするつもりで、その費用を自分の妻に調達させたのである。

これにはさすがの磯良もショックを受け、そのせいで伏せがちになった。加持祈祷なども行ったが効果はないようであった。

袖の死

播磨の国の荒井の里に彦六という男があった。袖の親戚に当たるもので、駆け落ちした二人は京都に行く前にここに立ち寄った。すると彦六は正太郎と似た性格であったため、すっかり馬が合い、結局二人はここに居候することになる。

ところがここに住み始めてから袖の体調が悪くなった。しばしば何かに憑かれたかのように錯乱することもあったので、これはひょっとして残してきた妻の生き霊にでも憑かれたのではと正太郎は疑ったが、彦六はそんな馬鹿なことあるか、病にかかるとそんな風に見えるものだ、養生すれば直ると言った。

しかし袖は7日の後亡くなってしまった。正太郎は泣き悲しみ、墓を立て坊主を呼んで袖を丁寧に弔った。

女の館

正太郎は袖に死なれてすっかり落ち込んでしまい、何もするすべもなくただ無為に日々を送る。そして時々袖の墓に詣ることだけが彼の仕事となっていた。

そんなある日、正太郎は墓場でしばしば見かける女があることに気付いた。やがてなにげなく言葉を交わすと、女は自分の主人の代理で墓参りに来ているのだという。その主人は夫に先立たれて気を落とし伏せりがちなのだと。その話を聞くと、正太郎は女にこう言う。自分も妻を亡くしたばかりで意気消沈している。あなたの主人とは何か話が合うかも知れないし、お互い心をなぐさめあうことができるかも知れない。一度会わせてくれまいかと。

女は承知して、正太郎を連れて細い道を入り、庭の荒れた一軒の家へと案内した。やがて屏風の向こうに女が現れた。正太郎は、あなたもご主人を失ってたいへんだったようですが、私も最近妻を亡くしたばかりで、などと静かに語り出す。すると女が屏風をずらしてその顔を見せた。

それは磯良であった。

正太郎は肝を潰して失神する。

物忌み

気が付くとそこは小さなお堂で目の前には黒い仏像が立っているだけであった。慌てて家に逃げ帰り彦六にそのことを告げると、大方キツネにでもだまされたのだろうと笑う。しかし心が弱っているからつけ込まれるのだといい刀田の里の陰陽師を紹介した。

陰陽師は占いを立てて難しい顔をした。あなたが里に残してきた奥さんは7日前に亡くなっています。その怨みは激しく、お袖さんを取り殺しただけでなく、あなたも冥土に連れていこうとしています。四十九日を過ぎたら大丈夫ですから、これから42日間、家の戸をしっかり閉めお札を貼っておとなしくしていてください。あなたの体にも護符を書きましょう。と言って正太郎の体中に筆で呪文を書いて朱苻を渡してくれた。正太郎は半信半疑ではあったが、言われた通りお札を門や窓に貼って家に閉じこもった。

42日間の来訪

その夜家の外で大きな女の声がした。「なぜここにお札など貼ってあるの?入れないじゃない」と。

正太郎は恐ろしさのあまりブルブル震え、やっと陰陽師の言葉を心から信じることとなった。しかしお札と正太郎の体に書かれた呪文のお陰で、磯良の怨霊は中まで入ってくることはできないもようであった。

そういう日が42日間続き、とうとう最後の夜になった。

今夜一晩頑張ればもう大丈夫だ。正太郎もさすがに疲れがたまってややうとうととした。大して眠ったつもりはなかったが、正太郎は戸を叩く音で起こされる。見ると外はもう明るいようである。

朝だ。

正太郎はとうとう妻の恨みから逃れることができたと喜び、きっと彦六が迎えに来たのであろうと思って急いで戸を開けた。

しかし。

まだ外は暗かった。

明るいと思えたのは満月の明かりだったのである。

正太郎は青ざめた。が、もう遅かった。

翌日

翌日彦六は正太郎がいた部屋でおびただしい血の痕を見た。しかしどんなに探しても死体さえ見つけることができなかった。

様々な展開

この吉備津の釜の物語は、雨月物語(1768)の中でも特に怖い作品です。前半の健気な生身の磯良と後半の執拗な怨霊の磯良が対照的に描かれており、上田秋声の構成力のすごさを感じさせます。

この物語はその後様々な人が改変版を作っており、最近でもしばしばテレビの怪談ドラマなどでこれを元ネタにした物語が放送されることがあります。

一般には磯良の怨霊のすさまじさが強調された演出が多いのですが、それでは磯良も浮かばれないでしょう。磯良のような立場の女性は当時たくさんいたでしょうし、現代でもたくさんいると思います。彼女らが少しでも幸福な人生を選択できることを祈って。合掌。

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