四谷怪談

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四谷怪談

 

お岩さんの物語

「四谷怪談」は日本で最も有名な怪談の一つでしょう。しかし若い方の中にはその筋までは知らない方もあるかと思います。大雑把なことを言えば、夫に裏切られ顔の崩れる薬を飲まされ憤死したお岩さんの霊がその復讐をとげる劇ということができます。これは実話に基づいて作られたもので、文政8年(1825)7月に初演された「東海道四谷怪談」が戸板返し・提灯抜け・仏檀返しなどのSFX的演出で評判を取り、現在まで伝えられることになりました。

忠臣蔵のサブストーリー

四代目鶴屋南北(1829.11.27没)の「東海道四谷怪談」はこの物語を忠臣蔵のサブストーリーとして演出しました。このため、当時忠臣蔵と四谷怪談を同時進行で2日がかりで上演するという大胆な手法が取られたのです。1日目にまず忠臣蔵の大序から六段目までを演じ、そのあと四谷怪談の三幕目「隠亡堀」までを演じて、2日目忠臣蔵の7段目からクライマックス直前までを演じてから四谷怪談の四・五幕目、復讐成就までを演じて、最後に忠臣蔵の討ち入りを演じるというやり方です。見ている方は最後に非常に大きなカタルシスを感じたことでしょう。

忠臣蔵とは
 
1701年から1702年にかけて起きた事件です。1701年3月14日江戸城内で、天皇からの勅使を迎える準備をしている最中に、赤穂藩主浅野内匠頭(あさの・たくみのかみ)が吉良上野介(きら・こうずけのすけ)に突然斬り掛かるという事件(松の廊下事件)が発生しました。時の将軍・徳川綱吉は、大事な勅使を迎えようとしている時ということもあり、この事態に激怒。浅野内匠頭に即日切腹を命じ、赤穂藩もお取りつぶしの断を下しました。しかし一方の相手の吉良上野介に対しては何のおとがめもありませんでした。

収まらないのは突然藩主が切腹を命じられ、藩もお取りつぶしということにされてしまった赤穂藩の藩士たちです。一時は城の引き取りに来る幕府の軍隊に対して籠城して抵抗しようなどという激論も出ますが、家老の大石内蔵助(おおいし・くらのすけ)はみんなをうまくまとめて無抵抗で城を明け渡し、混乱を防ぎました。

そして大石らは浅野家の血を引く浅野大学を建てて幕府にお家の再興を願い出ますが、結局この申請は却下されてしまいます。一方当初から、この赤穂藩の遺臣たちが、何のおとがめもなかった吉良上野介に対して主君の仇討ちをするのではないかという噂が流れます。しかし大石はその噂を笑い飛ばすかのように京都で、江戸で連日のように茶屋で遊びまくり、失望して多くの赤穂藩浪士が大石のもとを去っていきました。むろんこの中には大石がほんとうに仇討ちをするのではないかと幕府が警戒して送り込んでいたスパイもいたはずです。

しかし大石は腰抜けで、そんなことをするような奴ではない、と誰もが思うようになっていた1702年12月15日の早朝。大石が率いる47人の赤穂浪士が吉良邸に侵入、見事に吉良を討ち取って主君の仇を取ったのでした。(これを討ち入りといいます)

浪士たちは切腹を命じられ、そして英雄となりました。

四谷怪談の実話

四谷怪談の元になった実話については、東京四谷のお岩稲荷に1827年に記録された文書が残されています。実際の事件が起きたのはその100年ほど前、ちょうど本当に忠臣蔵の事件が起きた頃のことのようです。多分最も古い記録は1727年の「四谷実録集」でしょう。

お岩稲荷の文書によれば、四谷に住む武士・田宮又左右衛門の娘、お岩が浪人の伊右衛門を婿にとったが、伊右衛門が心変わりして一方的にお岩を離縁したため、お岩が狂乱して行方不明となり(別説では伊右衛門が隣家・伊藤家の妾と通じてお岩をいびり殺した。)、その後田宮家で変異が相次いだため、田宮邸の跡地にお岩稲荷を建てたというものです。これが現在の田宮神社です。現在その向かいの陽運寺にもお岩さんは祀られています。

また、お岩さんのお墓は巣鴨の妙行寺にあります。

 

「東海道四谷怪談」のストーリー

第1幕

塩谷(浅野)浪人の四谷左門の娘・お岩は同じ塩谷浪人の民谷伊右衛門に嫁いでいましたが、もうすぐ子供が生まれるというのに、左門はお岩を実家に連れ戻してしまいます。それは伊右衛門が塩谷家がお取りつぶしになる前に、公金に手を付けていたことを知ったからでした。伊右衛門はそのことがばれることを恐れ、左門を密かに殺してしまいます。

一方、お岩の妹のお袖も同じく塩谷浪人佐藤与茂七と結婚していましたが、直助という男が彼女にしつこく言い寄っていました。そして直助はなかなかお袖が言うことを聞かないので、夫の与茂七を殺してしまいます。(実は人違い)。

伊右衛門はお岩に父親の仇を取ってやるからと言いくるめて復縁し、直助もお袖に夫の仇を取ってやるからと言って結婚しました。

第2幕(伊右衛門浪宅の場)

お岩は子供を出産しましたが、産後のひだちが悪く、そんなお岩を伊右衛門は次第にうとましく思うようになりました。そんな時に隣の高師直(吉良上野介)家臣伊藤喜兵衛が伊右衛門に孫娘のお梅を嫁にして欲しいと言って来ました。伊右衛門は高家の家臣なら仕官の口添えも期待できそうと思い、その話に乗り、お岩を不貞者として離縁するために、按摩の宅悦に金をやってお岩を強姦するよう命じます。

ところが一方の伊藤喜兵衛の方もお岩を亡き者にしようとして、お岩に血の道の薬と偽って毒薬を届けさせていたのです。そうとは知らずに薬を飲んだお岩は宅悦の目の前で髪をすくと全部抜け落ちてしまい(髪梳きといって前半のクライマックス)、顔も崩れていきます。

驚いた宅悦はもうお岩を手込めにするどころではなくなり、あっさり伊右衛門の悪だくみを白状してしまいます。怒ったお岩はその宅悦ともみあう内、宅悦の刀がささって死んでしまいました。

一方、伊右衛門たちは民谷家秘伝の薬を盗もうとした下男の小仏小平を折檻して殺してしまい、結局小平の死体とお岩の死体を戸板の表裏にくくって川に流してしまいました。

そしてこれで邪魔者はいなくなったとばかり、伊右衛門とお梅は祝言をあげますが、そのお梅の顔が伊右衛門にはお岩の顔に変わったように見え、喜兵衛の顔は小平の顔に変わったように見えてしまい、恐怖に踊らされた伊右衛門は二人を斬り殺してしまいます。

第3幕(砂村隠亡堀の場)

伊右衛門が川で釣りをしていて、直助と再会します。直助が川で櫛を拾い持ち帰りますが、それは実はお岩の持っていた櫛でした。この後、ここへ伊藤の娘、お弓が現れますが、伊右衛門は父と娘の仇。そのお弓を伊右衛門は殺してしまいます。

そこへ川上から見覚えのある戸板が流れて来ました。引き上げてみるとお岩の遺体。その遺体が口を開いて怨みの言葉を言います。怖くなって裏返すと小平の遺体。その遺体も口を開いてまた怨みの言葉。(戸板返しといい最大の見せ場)

第4幕(深川三角屋敷の場)

お袖はやむなく直助と夫婦になっていましたが、その直助が持ち帰ってきた櫛は姉・お岩のものでした。そして彼女は宅悦から姉の死を知らされます。おどろいていたお袖のもとに、更に死んだと思っていた夫与茂七が現れお袖は混乱します。

そして更に、直助が実はお袖の実の兄であったことが判明し、お袖は自分を恥じて直助に斬られるようにし、直助もさすがのことにショックを覚えて自害してしまいます。

第5幕(螢狩り・蛇山庵室の場)

伊右衛門は七夕の宵迷い込んだ家で美人の女主人にもてなされますが、その女主人の顔はいつしかお岩の顔になっていました。さらに庭のかぼちゃもみんなお岩の顔で、提灯の中から更にお岩が出現します。(提灯抜け

伊右衛門は亡霊におびえて百万遍の念仏に行きますが、効果はなく度重なるお岩の出現に次第に追いつめられていきます。そして最後、佐藤与茂七に、義父と義姉の仇として討たれてしまうのです。

お岩さんの祟り?

さて、お岩さんに関しては、この話を劇などで上演したり、本を書いたりすると祟るという話が蔓延しています。そのため四谷怪談の芝居を上演したり映画を撮る時は必ずみんなでお岩稲荷にお参りに行くということになっているようです。お参りをしなかったためにひどい祟りがあった、という話も多数あります。

考えてみると、お岩さんというのは夫に裏切られた女ということで、江戸の多くの悲しい女のある意味で代表にされている面があるのではないでしょうか。そのことを考えずにおもしろおかしく、この話題を取り上げたり、映画で一発当ててやろうなどとしたら、これはお岩さんのみならず、多くの女性たちの悲しい思いがそれに抗議したとしても不思議ではないかも知れません。

今回、この怪談に関する記事を書くのに際し、祟るからということでよっぽと四谷怪談は飛ばそうかとも思ったのですが、やはり最も有名な怪談であるこれを飛ばすのは逆に問題であると考え、できるだけ真摯な気持ちでこれを書かせていただくことにしました。お岩さん、および多くの悲しい女性たちの思いに供養の気持ちを持って。

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